こんにちは。真目です。
今日は私が思うスピッツの魅力を言葉の丈を尽くして記してみようと思います。
多分今書いたものに満足できなくて続編をいつかまた書くことになります。
スピッツとの出会いは中学生の時です。
私が能動的に音楽を聴きだした頃とちょうど被ると思います。
学校の合唱祭で好きだった先輩がスピッツの曲で指揮をしていたのがきっかけだった気がする。多分(青くっさ)
その先輩の代の卒業式で楓を歌いたいと主張したのに「悲しい曲だからだめ」と嫌いな先生に却下されました。今でもちょっと恨んでる。
まず魅力ポイント1はどの曲もとにかく根底の部分で穏やかな気持ちが流れているということです。一見寂しげな場面を歌っているような曲でも、奥底に穏やかさがあって聴いていて安心します。耳から摂取する安定剤。これは歌詞もそうですがサウンドの作り方による部分が大きい気がします。何がどう作用して安らぎを表現しているのかまではまだわかりません。何かアイディアが浮かんだらまた続編で書きます。
魅力ポイントその2は時代に左右されない普遍性です。
これはスピッツに限った話ではありませんが、高く評価され続けているアーティストは皆、時代に左右されない魅力を持っています。
それは決して時代背景を無視した表現をしているというわけではなく、本質的なものを作っているということを意味していると私は思っています。
11年前に出た曲も古さを感じず、去年出た曲も決して流行りに迎合せず
変化を感じるとともに、どちらも「スピッツの曲だな」と感じさせてくれます。
この普遍性という点を、スピッツは見事にサウンドと歌詞の両側面から実現しています。
耳障りのよく、違和感のないスムーズなコード進行と極端なクセのない楽曲構成
バンドのサウンドバランスもバッチリということはライブでも確認済みです。(何様)
やはり長く活動しているだけあってバンド内での阿吽の呼吸が実現できているのだと思います。
歌詞に関してもありそうでないような、わかりそうでわからない絶妙な抽象度を保っています。
個人の解釈によって誰にでも共感できる幅をもたせ、リーチできる層を幅広く保っているのだと思います。
音楽オタクがしゃぶり尽くすのことも、CMソングとして流すことも可能であるというのはPOPSとしての究極体だと私は勝手に思っています。(この点は宇多田ヒカルも実現していると思います。)
みんなのスピッツだけど、みんなにとって私だけのスピッツがある…なんて素敵なんだ…
長くなりましたが魅力ポイント3はその絶妙な歌詞世界です。
普遍性を持っていると先ほど述べたばかりですが、私はスピッツの曲を聴くと経験したことのない情景をまるで懐かしい思い出かのように思い出す感覚に陥ります。
誰もが経験したことのあるであろう心情を情景を浮かばせるような言葉で表現していると思います。
見える情景の抽象度としてはちょうど小説を読むときのそれと近いです。
なんとなく色や輪郭は見えるけど、どんなものがあるのかディテールまでは見えない。
100わかりきってしまうことは決してないだろうと思わせてくれるのがまた魅力的です。
私は一生草野マサムネにはなれないんだと痛感させられます。
でも逆にあの草野マサムネはこういう情景を見たんじゃないかと確信に限りなく近いレベルで理解できます。
伝わります?スピッツオタクの人応答してくれたら泣くよ…
とまあ色々書きましたが、実はこんなに溺愛しているにも関わらず、スピッツの曲を聴く頻度ってとっても低いんですよね。
聴きたい曲が多すぎて手が回ってないのもあるんですが、一度聞けば十分すぎるくらいスピッツを感じられるというか、とっても満たされるのです。
私はスピッツのことを心のふるさとと呼んでいます。
多分ちょっと疲れたとき、人生の節目っぽい感じの時、心を落ち着かせたい時なんかにスピッツを聴いていると思います。
私が高校の時、スピッツ好きという共通点で仲良くなった友達と、大学に入ってから2人でライブを見に行けて本当の本当に穏やかな幸せを感じました。
その時まさか演奏してくれるとは思わず、生で見て涙した曲
それから高校を卒業する日の朝に聴いた曲です。