すみえのいろいろ日記

本来自分の好きな音楽を語るブログとして開設しました。これからは占星術を中心により幅広いトピックについて色々と書いてみようと思います

感情との付き合い方

こんにちは!

やっとあったかくなったと思ったら雨がちな日が続いてますね。

3月後半から三寒四温が繰り返されて自律神経がぐちゃぐちゃになってましたが、みなさん体調いかがですか??

春は環境の変化も多いし何かとストレスや疲れが溜まりやすいので、ご自愛モードでいきましょう!

 

さて今日は感情との付き合い方、よりよく生きるために感情をどう扱っていくかについて書いてみたいと思います。

 

まず大前提として、感情は悪者ではない、感情的であるということは悪いことではないということを確認したいです。

 

”大人”として日々を生きていると自分の感情を生の状態で外に出すことは非常に嫌がられるので、ほとんど機会としてなくなってくると思いますが、感情そのものは悪いものではないと思います。

 

そもそも感情的な振る舞いとは怒りや不満、悲しみなど一般にネガティブと言われる感情を丸出しにすることを指していることが多いと思いますが、そもそもある感情を感じること、ある感情が発生することとそれを外に表現すること、またその表現の方法は全て切り離して考えるべきことだと私は考えています。

 

まず、感情が発生するという一番根源的な部分について、そもそもどんな感情も人間が生存し種として存続するために必要なので存在し今でも残っているので、発生すること自体をやめようとする、生まれてきた感情をみないようにするというのはあまり得策ではないと思います。

ネガティブな感情そのものは感じること自体が苦痛ですし、あえてネガティブな感情を感じる機会を自分から増やす必要はないと思いますが、自分にとって大事なもの、価値を感じるものを理解する上で非常に有効な目印になります。

 

自分にとって大事なものを貶されたり、蔑ろにするようなことを言われたりそういった行動をとられたら誰だって腹が立ちます。

腹を立てることそのものを悪いことだと思って、自分が感じている怒りを無視したり抑えたりし続けていると、自分にとっての価値や喜びもわからなくなり、ポジティブな感情も同じくらい感じにくくなってしまいます。

そもそも感情なんて感じない方が気楽だ、という考え方もあるかもしれませんが、そうなってくると生きがいや人生の意味など究極的には自分ひとりじゃないと答えが出ないような問題にずっと答えが出なくなる可能性があります。外的な指標や評価基準で測れる目標や基準で人生の選択を続けていても、自分の幸福度が上がる確率を上げることはできても、あくまで確率論であり、それが自分が幸福を感じる環境につながるかどうかは未知数になってしまうのです。

自分はどんな時にネガティブな感情を感じやすのか?をなるべく正確に理解して、それがなるべく発生しないように自分を舵取りするのがよいかな、と思っています。

 

そして、ネガティブな感情が生まれ、それを表現するときは、その場やその相手との関係性などを考慮して表現できるのが理想的だと思います。

 

私はこの部分はまだ修行中です。きっとずっと修行し続けることになると思ってます。

これまで感情を抑えて生きてきたので、親しい人の前では少し出しすぎたかな、と思うくらい表現して、それでも大丈夫という経験を重ねながら少しずつ自分なりに自分を可愛いと思える出し方になるといいなと思っています。

逆にこれまで感情を出しすぎてしまっていた人は、怒りや不満などを感じたらいったんその場を離れたり、会話を中断したりして、すぐ外に発散せず自分の中で感情を咀嚼する時間を作ることで少しずつ表現がチューニングされてくると思います。

 

あとは、もやもやと行き場のない感情や誰にも言えないようなドス黒い感情は日記に書くのがおすすめです。

誰も傷つけないし、感情を言葉にする練習ができるし、頭の中でずっと抱えたままにしておくよりよっぽどスッキリします。

 

愚痴を言ったりするのもコーピングメカニズムとしてはありだと思うのですが、やはり書き出したりしてみると自分がどんな時にどんな感情になるのかパターンが見えてきて、自分を勉強できます。

これをもっと本格的にやりたい人は認知行動療法(CBT)を自分でやってみるといいかもしれません。

(私も一時期やっていて、拾い物のワークシートなどが手元にあるので興味ある人は連絡ください。)

 

ざっと書いてしまいましたがまとめると、感情は人間にとって必要なので存在しており、そこにはネガティブもポジティブも本当はないということ、だからこそどんな種類の感情も等しく感じて、自分を知るためのサインとしてみてみること、感情が出過ぎてしまうか、抑えすぎてしまうかによって感情の表現の仕方をアジャストすることをおすすめしたいです。

 

私の感触の話ですが、日本で普通に生きてると感情を抑える方向に自然と矯正されていくと思うので、よっぽどキレ症の人とかじゃなければ自分の感情の機微に敏感になり、観察して、観察日記みたいな気持ちで色々書いてみる方がいいんじゃないかな?と思ったりしています。

 

私は、感情って自分のことなのに、自分の中にいる野生動物みたいで、自分の意思とは全く別の意思をもってて、勝手に怒ったり笑ったりするので、やっかいだけどだからこそ手懐けたりいうこと聞かせようとしない方がいいなと思っています。

 

4月になって環境が変わったりして知らない間に疲れやストレスが溜まっている人も多いのではないでしょうか。

ちょっとしたモヤモヤも逃さず、なるべく自分にとって心地いい環境を自分に作ってあげられるように頑張っていきましょう!

 

 

半径5メートルから始める改革

こんにちは。

 

今日は国際女性デーですね。

せっかくなので、これにあやかってフェミニズムに絡めて色々書いてみようと思います。

 

まずは国際女性デーの起源についておさらいです。

国際女性デーは1908年3月8日、米ニューヨークで女性たちが労働条件の改善と婦人参政権を求め、大規模な抗議活動をしたことに由来して、『女性の政治的自由と平等のために行動する記念日』として、1975年3月8日に国連で提唱され、77年の国連総会で議決されたそうです。

 

ここ数年でよく聞くようになったので割と最近制定されたのかと思いきや、かなり歴史のある記念日だったんですね。

 

ちなみに、母の日のような感じで、身近な女性に、シンボルとされているミモザの花やプレゼントを渡す風習がある国もあるようです。

それから、なんと世界には国際女性デーが祝日になっている国もあるのだとか・・・

いいなあ、今年なんて3連休になるじゃん。日本が祝日になる日なんてくるんですかねぇ。

以下毎度お馴染みWiki先生から拝借しました。

 

てなわけで、女性やその歴史、これからについて思いを馳せる1日ですが、みなさんフェミニズムに対する印象ってどのようなものを持っていますか?

 

自分で情報収集したり活動を行っているフェミニストの方、言葉は聞いたことあるけどなんなのかよくわからない方、過激で少し怖い印象を持っている方様々かと思います。

 

ちなみに私は上記のどれにも属さないかなーと思っています。強いて言うならば、フェミニズムとは一定の距離をおきながら自分なりの形で女性の在り方が受け入れられるように生活の中で働きかけている実践者、という感じになるかなと・・・

 

ここから急ですが、私がこれまでフェミニズムとどういう距離をとってきて、今どのような形で関わっているのかを書いてみようと思います。

 

私がフェミニズムという概念に触れたのは大学に入ってからだったと思います。私の通っていた大学はジェンダーセクシュアリティ研究に一定の歴史があったのと、アメリカの教育制度の影響を強く受けていたことから、フェミニズムや性的マイノリティに対する意識が高く、授業もたくさん開講されていました。

 

フェミニズムに限らずさまざまな社会課題を学ぶ中で、「今の日本の現状はやばい、絶望的だ」という考えから「現状が酷すぎてどこから手をつけていけばいいのかわからない」とパンクしてひとりへたっていたのを覚えています。

 

あまりにも社会課題が山積みなのにも関わらず、若者の投票率は低く、仮に私が1票投じたところで到底政治は変わらないし、仮に政治が多少前向きに進歩しても効果的な政策が実施されて、自分や困っている人の生活が実際に変わるまでのタイムスパンを考えると気が遠くなってしまったのです。

 

要は個人の力で解決できないことを、まるで私個人の課題であるかのように感じてしまっていたのです。

また、その時の私のフェミニズムに関連する情報源は主にTwitterで、体系だったフェミニズムの歴史や知識を勉強していたというよりかは、自分と直接関わりのない遠い場所に住む誰かの女性として生きる愚痴や苦しみを日々見ていたのです。

今思えばこれは諸刃の剣で、どちらかというとあまり良いことではなかったなと思っています。このブログでも、折に触れて自分が接触する情報は意識的に取捨選択すべきであると言っているのも、この経験が元になっています。

 

と言うわけでネガティブな情報に酔ってしまったこと、こうした社会問題を解決することと自分が仕事をして食べていくことがいまいち結びつけられないまま大学を卒業して、毎日のようにそういうことを考える生活は一旦終わりました。

 

ただ、社会人として働き始めてからも根本的な問題意識が消えたわけではなく、自分ができることは何か、いつも考えていました。

 

いわゆるフェミニズムに関するイベントやミートアップに出席してみることも検討しましたが、フェミニズムをちゃんと学問として体系的に学んだわけではないことに引け目を感じていたのと、いまいちアイディアに共感できるものに出会えなかったので、それ以外の方法を模索してく中で、自然と自分なりの形にたどり着いたように思います。

 

それは、自分の身の回りの半径5メートルにいる人の社会的背景を理解した上で意識的にサポートする、ということです。

 

これは女性に限った話ではなく、性的マイノリティやエスニックマイノリティ、その他のいわゆる社会的に弱い立場に立たされている人(極論言えば白人男性以外)の属性を理解した上でその人が置かれている立場やそれに伴う問題を多角的にとらえてサポートすることを指します。

 

すごく単純化した例をひとつ書くと、あなたの周りに外国で生まれ育った女性Aさんがいるとします。彼女は非常に人格も優れていて、パフォーマンスも悪くないはずなのに、会社での昇進のチャンスを複数回逃している、としましょう。

この時、単純に考えれば、彼女の実力不足や運が悪い、といった捉え方になると思いますが、客観的なパフォーマンスが他の同僚よりも良い場合、日本的な間接的なコミュニケーションが不十分であること、ビザの問題があること、女性のため出産でキャリアが中断する恐れがあることから昇進が先延ばしにされている、と捉えることも可能かもしれません。

 

あと本題からずれるので深掘りしませんが、性的マイノリティはどうなんだ、そもそも人を属性に分類するな、という批判があるかもしれません。

まず、人の特定の側面に名前をつけることで個性が見落とされたり、単純化されてしまうのではないかという批判に対しては、私はその通りだと思います。

ただその一方で、人間の属性に限らず、何かを認識・理解する上で何かしらのカテゴリづけや分類を行うというのは、もはや反射的なレベルで起きる事象であり完全に無くすことは不可能だと思います。また、ある程度フェミニズムを実践的に取り組むのであれば、明確な議論を可能にするために分類づけは必要かつ有効だと私は考えています。

さらに言うと、1人の人間を一つのラベルだけで理解するのではなく、より多くのラベルで考えられるようになると、より複雑な背景の理解が可能になると思います。

 

あとは、半径5メートルという言葉もポイントだと思っています。私の大学時代のバーンアウトの一因に、自分にとって身近であるか否かを無視して、比較的距離の遠い他人の苦しみまで全力で受け止めようとしてしまっていたことがあります。

 

これは精神的キャパシティが無限にある人間であれば良いと思うのですが、残念ながら私は自分のことですら精一杯になることもあるので、自分のキャパシティを超えない中でできることをやるのがすごく大事だという結論に至りました。

 

心の底からどうにかしたいと思っているからこそ、短期的に熱くなってあれこれ動くよりも、長期戦で無理のない範囲で、自分ができることを確実にやりたいと思っています。

 

あと、このモットーでいくと、なかなかフェミニズムに共感する部分を見つけられない非当事者も、自然と自分なりの関わり方を見出せると思うのです。

これは私が大学の頃からずっと考えていたことですが、フェミニズムは他の学問とは違って当事者性がすごく重要だと考えています。

他の学問は主観をなるべく排除し自分が客観的な観察者となることがよしとされていると思いますが、フェミニズムはもっと主観性、個人の経験が根底にあるものだと思います。(多分ちゃんとアカデミアでフェミニズムやってる人からすると違うのかもしれません。ソースはありません。)

 

本当に社会が前進していくためには、現状の社会構造で実権を握っている男性が、どれだけフェミニズムを自分ごととして捉えられるかが重要だと思います。

もちろん数字や客観的エビデンスから理解を促すことも重要な一方、結局人間自分にとって大事なことだったら後回しにはしないということを逆手にとって、男性にもフェミニズムが自分ごとになるようにしてもらえれば良いと思っています。

 

その過程として、男性には自分の家族や友人など身近な女性が普段抱えている問題を理解し、それは果たしてその女性個人の問題なのか?ということを突き詰めて考えることが第一歩になると思うのです。

 

これはもっと言ってしまえば、自分の周りにいる他者の苦しみに関心を持ち、ケアするという人間として非常に根源的な営みに基づくもので倫理や道徳の世界になってきてしまうのですが・・・

 

不思議なことに、上記のような営みは一般に女性が男性に比較して得意であると言われていますよね。

ここも実は私的にはポイントで、男性のやり方に合わせてフェミニズムを実践しないでいたいのです。そういうアプローチを取る人を悪く言うつもりはありませんが、私は自分がやりやすい形を模索した結果こうなりましたし、女性的なアプローチを通じてフェミニズムを広める、というのもなんか面白いかなとおもってやっています。ちょっとした反抗の気持ちでもあります。

 

また、半径5メートルより遠い人はどうすんだ、と思われると思いますが、私の友達や仲間は、彼彼女らの輪があるので、そこでも同じ営みがされていれば良いと思っています。で、似たような考えをもった仲間同士でもまたサポートしたりアイディアを交換したら、芋蔓式に輪が広がっていくので、そんなこんなしていくうちに徐々に社会が変わっていくのではないか、と私は思っています。

 

大学の頃はもっと政治や教育、メディアといったマス的な方向でどうしたら世の中が良くなるのか考えていました。今でもその方法は無意味と思っているわけではないですし、むしろ非常にパワフルだと思っている一方自分のフィールドではないこと、結局人間は自分の個人的なつながりの中から強く影響を受けている、という考えから草の根的な動き方に力を入れています。

 

フェミニズムに限らず、大丈夫かよ〜と嘆きたくなる出来事もまだまだ多いですが、それでも物事は確実に前進していると感じます。

私が大学生だった5,6年前に比べて、フェミニズムやその他の社会問題について関心を持つ人は増えたと思います。

 

地道で終わりのない旅ですが、焦らず腐らず、自分のできることを自分のできる範囲でやっていこうと思います。

 

何か感想ある方インスタのDMとか送ってくれたら嬉しいです!

 

では!

 

スピリチュアルとの向き合い方

こんにちは。

 

今日はスピリチュアリティの存在意義と向き合い方についてあれこれ書いていきたいと思います。

 

いつもブログ書く前に頭の中でなんとなく書きたいことを整理するのですが、いつも以上にまとまっておらず、即興出たとこ勝負になりそうなので、お付き合いいただければと思います。

 

よく、「あの人スピってる」なんて言い方しますが、そもそもスピリチュアリティとはなんなのでしょう。いつも通りWiki先生に聞いてみました。

 

スピリチュアリティは、英語Spirituality片仮名表記で、訳語には「霊性[1][注釈 1][2] や「精神性」などがある[3]。ただし、キリスト教などの組織的な伝統宗教からは離れて個々人が霊性に目覚める[4] ような新しい文化運動・宗教現象などについて1990年代以降はカタカナ表記される方が優勢であるが[4][5][6]、「霊性」と「スピリチュアリティ」という訳語を同じものとして扱うこともある[7]霊性精神世界スピリチュアリズム心霊主義)に関わる意味ではスピリチュアル(霊的)ともよばれる[6][注釈 2]

 

とのことで、結局いまいちわかりませんが、関連事項には宗教、心理学、超自然や超能力に関する事項が記載されていました。なんとなく全体感が掴めたと思います。

 

簡単にいってしまえば、精神に関する様々な事柄ということだと思います。

 

ここで、私が思い浮かぶ近接概念として、アミニズム、オカルト、都市伝説や陰謀論などがありますが、逆に言えば少なくともwiki先生はこれらの概念とスピリチュアリティを分けて定義しているということは注目しておきたいです。

これらの概念は、科学の範囲外の事柄として一緒くたにまとめられやすいですし、実際このうちのどれかに興味を持っている人は、それ以外にも興味を持つ可能性が高いので、関連性の高い概念ですが、同じ概念ではないということです。

 

で、スピリチュアルって多分少し前(COVID前とか)に比べるとだいぶ流行ってると思うのですが、とはいえ抵抗感をもっている人も少なくないと思います。

 

まず、なぜスピリチュアリティに対して抵抗感を持つ人がいるのか、特に日本に限って私なりに理由を考えてみました。

 

1点目は宗教に対する認識が薄く、話題にすることが若干タブー視されているからです。

日本が宗教に対してブロックを持つことになった最初のきっかけは第二次世界大戦だと私は考えてます。(自論)

真珠湾攻撃の開始や特攻隊など、当時の日本軍を推進する上で根底にあったのは天皇崇拝(=神道)で、戦後日本はGHQによってこの精神構造を徹底的に否定し排除されました。

こういう話をすると若干陰謀論っぽく(危険な思想を話してるように)聞こえる時点で不思議なのですが、さっきふざけて自論とか書きましたが、これは私の妄想ではなく、丸山眞男という非常に著名な政治学者による学説で書かれていたことです。

ハードカバー500ページ越え、しかもかなり難解とエクストリームスポーツばりのハードさなので、1人で読むのはお勧めしませんが、もし興味ある人いたら一緒に読書会とかしたいです。(私も半分くらいで止まってるので)

https://www.amazon.co.jp/%E3%80%94%E6%96%B0%E8%A3%85%E7%89%88%E3%80%95-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%A8%E8%A1%8C%E5%8B%95-%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E7%9C%9E%E7%94%B7/dp/462430103X

 

ほかにも戦後にオウム真理教による地下鉄サリン事件があったこともかなり影響していると思います。

新興宗教はその他の宗教とは異なると理解していても、心理的な抵抗感が強く残るのはある意味仕方がないとは思います。(流石にすでにかなり時間が経ったことを考えると、それを理由に宗教という概念に対して無知でいることの免罪符にするにはだいぶ無理があるとは個人的には思います。)

 

ということでこんな近現代の出来事から、日本人は自らが信仰を持つことはおろか、宗教について話題にあげることすら憚られるという土壌が出来上がったと私は考えています。

 

2点目は心理学に対して、科学の一種であるという認識が低いことが挙げられると思います。

 

これは正直理由は私もよくわかっていないのですが、心理学は立派な学問の一種で、他の学問分野と同様に方法論や手法をもちいて研究が行われているにもかかわらず、よく言えば大衆化、悪く言えば似非科学的な扱いを受けていると思います。

 

おそらく理由は心理学と全く関係のない文脈で心理という言葉が使われているからだと思います。

 

例えば丸三角四角の図形があってこれを選んだあなたはこんな性格です!みたいなネット記事ありますよね。あれを心理テストと呼んでいると思うのですが、実際心理学の研究において実施する心理検査はあれとは全然別物なのに、心理テストの延長線上に心理学があると勘違いする人が多いのかな、というのが私の推測です。

 

ふと、元々西洋発祥の学問で日本で受容されたのが最近であまり定着していないのかな、と思って簡単に調べたところ、蘭学とかが入ってきた江戸時代前後には一応概念としては入り始めていたようなので、西洋医学がばっちり根付いていることを鑑みるとおそらくそこは理由ではなさそうです。

もしかすると、こころや精神を科学的にとらえるという発想自体が西洋的であまり日本人の精神に馴染まない、みたいなことはあるのかなと思いつつ、きりがないのでこの辺にしておきます。

ちなみにソースはこちら。

https://www.ritsumeihuman.com/uploads/publication/ningen_05/247-258.pdf

 

実は一番最初大学の学部を悩んだ時、心理学でもやってみるかーと思いつきで調べてみたら受験科目に数学があって即座に挫折したことがあるのですが、心理学って統計的側面が結構強いんですよね。(もちろんいろんな手法がありますが)

扱っているものがこころや精神というぼんやりしたものであるだけで、やっていることは統計に近いですし、そもそも脳波測ったりもするから、文系っぽい扱われ方してるけどどちらかと言えば医学じゃん?とすら思うんですが、〇〇心理学!とか恋愛心理!みたいな言葉の使われ方の影響で心理学=読心術・マインドコントロールみたいに思われがちなのかもしれないです。

 

長くなりましたが、このようにスピリチュアリティに内包される大きな二つの概念(宗教・心理学)がどちらも誤解とタブーのベールに包まれてしまっていることで、日本人の中にはスピリチュアリティに対してもはや無意識レベルの抵抗感を持つ人が一定数いるようです。

 

 

とはいえ生きていくにはスピリチュアリティってある程度必要じゃない?毛嫌いせず適切な距離を保とうよ、という話をここからしようと思っていたのですが、ここまでで思ったよりもかなり長くなったので、続きはまた別で分けて書こうと思います。

 

今日の記事は引用元が結構ゴツくてもはや論文みたいになりましたが、興味を持ってくれた方は日本人の精神構造について色々勉強してみるとおもしろいかもしれませんよ(適当)

 

では!

 

Peng Black Girls/ ENNY

こんにちは。

 

今日は久しぶりのこのブログの当初の趣旨であった曲紹介と歌詞翻訳をしたいと思います。

 

この曲大好きすぎて、逆になんで今まで紹介していなかったのか謎なのですが、今日久しぶりに彼女の他の曲を聴いてくらってこの曲のことも思い出したので、気合い入れて愛を込めて紹介したいと思います。

 

ENNYはロンドンで生まれ育ったナイジェリア系の女性ラッパーです。

曲の中では女性・黒人・ナイジェリア系として生きることに関して歌っていることが多いです。

 

最近って、マイノリティ性をアイデンティティとして活動するアーティストがとても増えてきていますし、ガールズエンパワメントも一つのジャンルになるんじゃないかと思うくらいよく歌われるテーマになりましたよね。

それが悪いと言いたいわけではもちろんないのですが、彼女の切り口と言葉の運びのレベルが本当にとにかく高すぎて、頭ひとつ抜けているんです。

 

あと、曲聞いてもらえればわかると思うんですけどシンプルにラップがバチくそに上手いです。

ラップのうまさって人によって見るポイントが違うと思うんですけど、私はリリックの深さとフローが特に大事というか、その2点に強みを持っているラッパーに非常に惹かれます。

 

ENNYのリリックは写実的でシンプルなものから詩的なもの、ぐさっとくる様な的を得た短いセリフ、ユーモアに富んだものなど本当にカラフルで美しいです。

フローについても、すごく脱力感のあるリラックスしたスタイルですが、リズム感も抜群だしフローのバリエーションもあるので聞いていて飽きないです。

好きなフィーメールラッパーはたくさんいますが、本当に彼女はずば抜けていると思います。

 

てなわけでとにかく愛が溢れて仕方ないんですが、そんな中でも私が一番気に入っているpeng black girlsを紹介したいと思います。

pengとはイギリスのスラングで可愛いとか魅力的という意味があるそうです。

 

この曲は私が知る限り3つのバージョンがあります。

原曲がこちら

www.youtube.com

 

今日はこのバージョンの歌詞を一部抜粋して紹介したいと思います。

 

次にプチバズを引き起こしたjorja smithとのコラボのcolors

www.youtube.com

 

実はこれ、ENNYより比較的肌の色が明るいjorjaがコラボすることで曲の人気に火をつけたことに対する批判があったりしました。

正直、人種や肌の色に関する論争は地域によってもまた新たなコンテクストがあったりして部外者がついていくには非常にハードルが高いです。

そもそも何も口出しできる立場ではありませんが、極東のアジア人女性にもこの曲は響いたよとだけ書いておきましょうか。音楽は国境を越えますね。(誰)

 

で、最後にapple session versionがあります。ENNYがソロでアコースティックバージョンで歌っています。一応探してみましたがYoutubeには載っておらず、Apple Musicでのみ視聴可能なようです。

Peng Black Girls

Peng Black Girls

  • ENNY
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 

どのバージョン訳そうかな〜とか思っていたのですが、そもそもスラングが難しすぎて自信持って訳せないところがちらほらあったので、原曲バージョンの中から、私なりにある程度解釈できたであろう箇所のうち、お気に入りの部分をかいつまんで紹介する形にしようと思います。

 

 

There’s peng black girls in my area code
Dark skin, light skin, medium tones
Permed things, braids, got mini afros
Thick lips, got hips, some of us don’t
Big nose contour, some of us won’t
Never wanna put us in the media, bro
Want a fat booty like Kardashians? (No)
Want a fat booty like my auntie got, yo

私の市外局番に可愛い黒人の女の子がいる

暗い肌、明るい肌、ミディアムトーンの肌

パーマ、ブレイズ、小さなアフロ

厚い唇に大きなお尻、そうじゃない子もいる

大きな鼻にシェーディング、してない子もいる

私たちのことメディアに載せないでよ

カーダシアンみたいにでっかいお尻がいいって?

私の叔母さんみたいなでっかいお尻がいいだなんて

 

開始早々市外局番とかありえなくダサい単語がでてきて私もびっくりしたんですが、外国だと自分の出身地域の市外局番が歌詞にでてきたりとかするんですよね。自分の生まれ育った土地をレペゼンするニュアンスで使ってるんだと思うんですけど、正直日本で生活してる身からするとどこから市外局番が切り替わるかも頭に入ってないから馴染みないですよね。

歌詞では黒人の女の子のビジュアルをシンプルに描写していますが、そうじゃない子もいると言及するところがすごく好きです。分厚い唇や大きなお尻、大きな鼻は黒人の身体的特徴として典型的なものですが、当然そうではない人も存在するんですよね。

一口に黒人と言ってもいろんな見た目の女の子がいて、それぞれがそれぞれの形で自分の外見を楽しんでいるのが伝わってきます。

 

That’s cool, I like it
The growth, the light
The pain, the fight
We love, we fight
We hurt, we cry
He paid the price, you’ll be alright

I think I need some time away
I took a little time, I prayed
We gon’ be alright, okay
Alright, okay, alright, okay
I think I need some time away
I took a little time, I prayed
We gon’ be alright, okay
Alright, okay, alright, okay, alright, okay

いいね、かっこいい

成長、光

痛み、闘い

愛して、闘って

傷ついて、泣いて

彼は代償を払った

あなたはきっと大丈夫

 

少し1人の時間が必要

少し時間をとって祈った

私たちは大丈夫、きっと大丈夫

 

サビ前からサビにかけて、非常にシンプルな歌詞ですがずっしりきます。

ENNYとその身近な女性たちが共に経験してきた困難と、これからそれは癒やされていくという静かな希望が感じられます。

ここも、「私は男なんかいらないんだから!」みたいなわかりやすいガールズエンパワメントではなくて、静かででも深いところで感じる痛みと癒しが込められていると思います。

 

He said to me, "They put guns in the streets That's what they wanted for me"

And I said, "G, someone can fix your plate but no one can force you to eat"

彼は言ったの「奴らがストリートに銃を持ち込んだんだ、あいつらがそれを俺に求めてたんだ」

私は言った「料理を準備してやることはできても、誰も無理に食べさせることはできないのよ」

 

ここのフレーズ、曲の中で一番好きです…

この後の歌詞も含めて考えるとここでいう彼はおそらくENNYと同じナイジェリア系の黒人で、イギリスにおいては弱い立場に立たされていて、なんらかの事情で銃を使わなければならない立場にいたのでしょう。

でも、その様な環境にいたとはいえ、銃を使うという選択をしたのは自分でしょ?とバチバチの正論をお見舞いするENNY。

しかもその言い方がオシャレすぎる…こんなウィットに富んだオシャレかつ鋭い言い回しありますか????

これ、具体的な状況は違えど似た様な場面て結構ありそうだなと思いました。

周りにやらされたと自分の行いを正当化しているけど、とはいえやってるのは自分じゃん??というね・・・

 

Like when will he see himself as a king

And not just a pawn in these streets?

And when will we come together as a tribe 

And be what's intended to be?

I just wanna be free

いつになったら彼は自分のことをストリートの駒の一つじゃなく

王様だと気づいてくれるのか

いつになったら私たちは私たちは一つの部族としてあるべき姿になれるのか

私はただ自由になりたいだけ

 

さっきの鋭い一言の裏に、愛情があるのが垣間みえます。

おそらく他の男性との力関係の中で不利な状況に置かれている彼は自信を失って周りの言うことに従うことでしか自分の居場所を保つことができないと考えているのでしょう。

そんな彼に対して自信を取り戻してほしいと願う気持ちが伝わります。

さらに、その様に彼が自信を取り戻した先にはENNYと彼は同じ黒人として(もしくはナイジェリア系として)手を取り合い力を合わせていけると彼女は考えていると思いますし、彼女はそれを強く望んでいます。

このワンフレーズは本当に様々な文脈が詰まっていると思います。

 

イギリスにおいて黒人として生きている時点で2人は弱い立場に置かれているにも関わらず、男女という性別の壁によって彼らは本来存在するはずの絆や連帯がさらに結びにくくなっています。

最後のI just wanna be freeも力強いメッセージにも聞こえますし、こんな現状に疲れたというぼやきにも聞こえます。

 

兎にも角にもリアルでそこそこヘビーな内容なんですが、ただただ嘆いていると言うわけでもなく、空元気で励ましてくるわけでもなく、とにかく描写しているとところがすごいです。

 

あと、jorja smithとのコラボバージョンの中のリリックで

I was black back when it wasn't even in style

というフレーズがあってこれも大好きです。

黒人が流行る前からずっと黒人だった、と言う意味です。

 

ここ数年でBlack Lives Matterだなんだと黒人の人権向上が声高に叫ばれ、

黒人の文化に対してもリスペクトが高まってきました。

が、それと同時にルーツや歴史を知らないでファッションや流行の様に消費している人もいるんでしょうし、これまでの冷遇からすると手のひら返し感がすごい、と当事者はきっと感じているのではないかな、と思います。

流行ってようが、かっこよかろうがそうじゃなかろうが黒人はずっと黒人だった、というのは当たり前の事実ですがいかに世の中の黒人に対する扱いが時の流れの中で変わっているのかを浮き彫りにするセリフだと思います。

 

当然一緒くたにはできませんが、散々馬鹿にされ、差別されてきた韓国人が、KPOPの流行とアメリカでの受容も通じて、日本でもついに大衆文化の一つとして受け入れられたこと、アメリカにおける異常と言っていいまでのKPOP熱と韓国エンタメへの崇拝をみていると、私はなんだか似た様な気持ちを感じます。(私は韓国人ではないですが、今ほどの大騒ぎになる前から韓国の文化やエンタメが好きで、周りの人のリアクションの変化を目の当たりにしたので)

ちなみにさらにいってしまえば、中国人はいまだにそういった羨望の対象にはなっていませんよね。幸か不幸かわかりませんが、歴史の闇をかんじます(これはまたいつか)

 

ということで長くなりましたが、とにかく頭を抱えたくなる様な場面もまだまだありますが、力強く生きていきましょう。

是非是非、それぞれのバージョン聞いてみてください!

 

では!

 

 

 

幸せをアップグレード〜土星先生がもたらす恩恵〜

こんにちは。

もう年末ですね!
気づいたらめちゃくちゃ寒くなってきて、びっくりしてます。
みなさんも風邪ひかない様に暖かくして過ごしてくださいね。

 

正直そこまで書きたいことまとまってないんですが、年内に一つ書いておきたくてとりあえずパソコンを開きました。

 

まずはこの記事を読んでみてほしいです。
maki-scope.cocolog-nifty.com


少し占星術のことを知っている人であれば、土星は試練や困難、制限を表す星であることは知っていると思います。
これらのキーワードから土星を凶星と読む占い師もいますが、物事は常に表裏一体で良悪のどちらか100%というものはそもそも存在しません。


今日は、土星と対照的に幸運をもたらす星とされている木星と比較しながら、土星とはなんぞやということと、それがどう幸せにつながるのか書いてみようと思います。

 

木星のキーワードは、繁栄、拡大、発展です。土星と比較すると明らかにポジティブなトーンですよね。
木星が自分の個人天体と絡んでいたり、進行中の配置により影響が強く出ている時は、思わぬ幸運が舞い込んだり、新しく始めたことがうまくいきやすいと言われています。
しかし、木星の性質の本質は「そこにあるものを増大させること」です。
何でも度を過ぎれば逆に良くない結果につながることもありますよね。
仕事のチャンスが舞い込んできてラッキーと思ったら、想像よりも忙しくて余裕がなくなってしまった
急にモテ始めて複数の人とデートしていたら、予定が管理できなくなって一番いいなと思っていた人との時間を十分に取れなくなった
などなど。。。
シナリオは人の数だけありますが、とにかく、木星のパワーが強いと、物事がどんどん膨らんで、自分の意図しない範囲や規模になりコントロールが難しくなったりするのです。


一方、土星の影響が強く出るとどのような変化が起こるでしょう。
簡単に言えば、物事が自分の思った通りには進みにくくなります。
というか正確には今までの自分のやり方じゃ通用しなくなります。

例えば、今まではうまくいっていた営業スタイルだと売り上げが上がらなくなってくるなどです。
あとは、今までも存在はしていたが特に問題ではなかったことが急に問題になり、対処する必要が出てくるみたいなこともあります。
それから、忍耐を求められる状況や身動きをとりにくい状況に陥ることもあります。

 

どう考えてもしんどいじゃん、と思うと思います。
これが!味噌なのです。

 

素で過ごしていたらしんどい期間なのです。ぼけっと座っていたら棚から牡丹餅が降ってきて口の中に入ってくる時期ではないのです。
牡丹餅が食べたくてスーパーに行こうと思ったら外が雪で、車もエンストしてお父さんに怒られる、みたいな時期なのです。

 

人は困難な状況に陥るとそれを脱することができる様頭を使います。
そうすると呑気に過ごしていた時には思い付かなかった様な解決方法が思い浮かびます。
しかも現状が快適ではないので、その解決方法がめんどくさかったり、あんまり楽しくなくてもとにかくやるしかないので、手を動かします。
そうすると、時間が経てば徐々に状況は良くなりますよね。

 

すると、あなたの元にはより良い状況が訪れるだけでなく、困難な状況を経験する前にはなかった「困難な状況を乗り切るためのグッズ」がいくつか増えているのです。
それは、同じ状況に陥らない様にするための教訓や、困難な状況を打破するための知恵や人脈かもしれません。
どんな形であれ間違いなく、それを経験する前のあなたよりも一回り成長しているはずです。

 

これが、土星のもたらしてくれる恩恵です。
土星は一部の占星術界隈では「土星先生」なんて呼ばれていますが、ただで欲しいものを与えてくれるほど甘くありません。
でも、タダで手に入る恩恵ではない分、それは深く、本質的で普遍的なものです。一過性のものではなく、その後の人生において思わぬ形であなたを救うことになります。

 

リンク先の記事でも記載されている通り、土星を理解する上でもう一つ重要な概念は時間です。
土星の与える恩恵は1日2日で手に入るものではありません。成長には必ず時間の経過が必要です。
土星は太陽系の中でも比較的地球から遠くに存在していることから、公転周期が長いため、一度土星の影響下に入るとその影響は比較的長期に及びます。
一定期間以上、困難な状況や自分の苦手なことに向き合わされるのは決して快適な経験ではありません。
しかし、繰り返しになりますが、快適ではないからこそ、それを変えようと頭を捻り色々と試していく中で学ぶことがあるのです。
これが短期間だったら、ただ運が悪かっただけ、しばらく大人しくして過ごしていればいいや、と問題の本質に向き合う必要がなくなってしまうのです。


変えたいな、取り組まないとな、と思いつつも普段は見て見ぬ振りをしていた問題を表面化させ、取り組む機会をもたらし、成長の道にいざなってくれるのが土星先生の役割なのです。


志望校に合格したい、資格をとりたい、転職したい、減量したい、シェイプアップしたい、生活習慣を変えたい
こういった継続的努力が必要とされるジャンルが土星先生の得意分野です。

もちろん木星のもたらす棚ぼた的な幸運も人生には必要ですし、大事な要素ですが、まずは自分が変えられることから変えることが大事です。

 

もうすぐ新年ですから、2024年の抱負を考える方も多いのではないのでしょうか。
人が抱負に掲げる内容って大抵土星の課題的な要素が強いと思います。

もちろん抱負を達成することも大事ですが、そのプロセスの中で自分が得られるもの、得たいものを明確にするとより多面的に人生が発展していくと思います。
みなさんが怖がらず、めんどくさがらず、一歩ずつ自分の幸せのために前進していけますように!!


ではでは、良いお年をお過ごしください❤️

女性性と火星のエネルギー 〜風の時代の処世術〜

こんにちは。

 

今日は火星の力を借りて人生切り開いていくぞ、というお話を書いてみようと思います。

タイトルに「女性性」と書きましたが、大前提として全ての人間にはその人の性別に関係なく女性性と男性性が混在しています。

 

なので、ここでは女性に限定せず、女性性が特に強い方が意識するとよいことを書いていこうと思います。

また、それがこれからの時代を生き抜いていくためにも大事なスキルになるであろうと私が考える理由もあわせてお伝えしたいと思います。

 

まず、女性性とはなんでしょう。

これは完全に私の経験則や自己理解ですが、物事をあるがままに受け入れる姿勢、自分を犠牲にすることで他人を守る姿勢、場や集団の調和を重視し、衝突を回避する姿勢などが女性性と結びついて考えられると思います。

古き良き時代の女性の理想像はこれらに当てはまるのではないのでしょうか。

旦那に理不尽言われても一緒に添い遂げると決めたから相手の姿勢を受け入れる、自分の夢や理想があっても家庭を守るためにそれは二の次にする、自分が納得していなくても自分の周囲の人間が満足できるようたち振る舞うなどです。

 

私は女性性と男性性に優越はないと思っていますが、過度にどちらかの性質に偏っている状態はあまり健全ではないと考えています。

 

上記に述べたような女性的な性質は、”周りの人間がその本人と同じくらい女性的であれば”特に歪みはないのです。

ですが、現実問題そんな状況はほとんど存在しません。全ての人間がその人なりの比率やありかたで女性性と男性性を併せ持っているからです。

 

さらに言ってしまえば女性性が過度に強まり、男性性がなくなると、それはそれで問題が起きます。

本当は自分にとってベストではない環境だったとしても、そこに自分の身を長く置き続け、疲弊し、より身動きが取れない状況に陥りやすくなるのです。

 

このような状況を避けるために必要なのはなんでしょう。

周りの人に後ろ指刺されたり、応援されなかったり、非難されることを覚悟した上で状況を変化させるための行動をとることです。

つまり、リスクを取ることです。

現状と異なる行動をとることは、自分や他人を傷つけたり、摩擦を発生させるリスクを受け入れることが必要不可欠になります。

望まない状況を脱却するために行動をとった結果、もしかしたら元よりも悪い状態に陥るかもしれません。自分が思ったような結果にならない可能性だってあります。

それでも、究極的にはその行動を取ることが自分にとっては正しいであろうと自分の中で納得し、その気持ちに従うしかないのです。そこまで行ってもリスクをゼロにすることはできないのです。

 

このリスクを取る力は占星術的にみると火星という天体が司っています。

火星は行動力やモチベーションを意味します。

自分が手に入れたいもの、達成したい目標を実現するために自分を動かすためのエンジンです。

 

これは人によって様々ですよね。その人の火星がどこにあり、何座なのかによって変わります。

自分の大切な人を守るため、社会的地位を得るため、世界の不平等を解消するため、毎日美味しいご飯と温かいお布団で眠り続けるため、自分のあくなき知的好奇心を満たすため。

どれも立派なエンジンで、優劣はありません。

 

自分の置かれている状況に漠然とした(もしくは相当の)不満がある、本当はやってみたいことがあるけど挑戦できない、失敗したり損することを過度に恐れていつも行動に移せない。

 

こんな悩みがある人はまだ自分の火星の力を十分に発揮できていない可能性があります。

 

そこで私がおすすめする、自分の中の火星を呼び起こし、適切に発揮するためのアドバイスをいくつか書いてみようと思います。

 

一つ目は、日常におけるモヤモヤを見逃さないようにすることです。

誰しも日々暮らす中でもやっとすること、イラッとすることはあるはずです。

でも、怒りを表に出すことはいい年した大人の振る舞いとして歓迎されるものではありません。

なのでみんな笑顔で飲み込んだり、気にしないふりをしてやり過ごしていると思います。

 

でも、これはベストなやり方ではありません。感情はどんなものも、自分を知るためのシグナルとして存在しているのです。悲しみや怒りや憤りなどのネガティブな感情も必要だから存在しているのです。

 

もちろん、じゃあ自分が不満だったらいつでもそれを外にだしてぶちまけてたらいいかと言われたら、そういうことを言いたいのではありません。

そもそも怒りや不満をずっと抑圧している人であれば、それをやろうとしたところでできません。

なので、まずはそう思った場面やなぜそう思ったかをメモする習慣をつけると良いと思います。(要するに行動認知療法です。気になる人はググってください。)

 

で、これを続けると自分の中でイライラモヤモヤのパターンがある程度見えてくると思います。そしたら自分がなぜそれにイライラするのか考えてみてください。

ここで注意すべきなのは、自分がイライラしてしまっていることに対して罪悪感を感じる必要はないということです。先ほども書いた通り、感情はシグナルなので、それを使って自分を分析し、よく理解する手掛かりにしましょう。

 

こうして自分がイライラ・モヤモヤする根本の原因や理由がわかると、不思議なことに自分が大事にしているものが見えてくると思います。

大抵自分はできるのに他人はできないことや、自分を尊重されていないと感じる時、人は怒りを感じます。裏を返せば、それはあなたが得意なこと、自分が尊重されていると感じる上で重要な要素に気づくきっかけになるのです。

 

また、これがある程度わかるようになってきたら、自分の怒りや不満を、友好的な方法で周囲に伝え理解してもらうステップに移ります。

本当に小さいことからスタートすると良いです。そしてこれを理解し、受け入れてもらうことが難しいと感じる場合、その場や関係からいつでも立ち去れると自分に強く言い聞かせることです。きっとここで苦労する人が多いのでしょう。

一定の時間や労力を費やしたものから去るのは必ず痛みが伴います。しかも、孤独という人間にとって最も恐ろしいものに向き合う必要があります。

 

しかし、自分が不当に扱われ、常に不満を感じ続けるような環境にいることと痛みや孤独を引き受けてその場を立ち去ることは、「尊厳」という単語を天秤に載せた時に、等しく検討すべき選択肢には映らなくなると思います。

 

不満な環境に常に自分が身を置くことは、自分に対して「お前はこの程度だ」と言い続けているのと実質同じ状況なのです。

 

でも、時にはその状況にいることが苦しくて、そのように行動したらいいのかすら考えられる余裕がなかったり、取るべき行動はわかっていても、身動きが取れないときもあるでしょう。

 

そんな時にお勧めしたい二つ目の方法は、運動です。

 

めちゃくちゃありきたりですが、体を動かすと心もリフレッシュしてメンタルが良くなるよという話とは若干違います。

まずは、自分の問題とは直接関係ないところで自分の行動が自分の状況をよくすることができるという「自己効力感」を取り戻すことができます。

状況を変えたい、自分を変えたいと思って自分が行動を起こす、ということ自体に意味があるのです。

 

また、この運動はある程度競争的要素を含んでいると良いと思います。

チームスポーツだったとしても、勝ち負けが明確につくものがよいと思います。

憚られる人は水泳や筋トレなど、他人と競うのではなく、過去の自分より今の自分が成長した、と感じられるものでもよいかもしれません。

 

勝ち負けがつくものをやると勝てば嬉しい、負ければ悔しいと、嫌でも感情が動きます。また、自分に合うものに出会えればどうしたら勝てるのか、より強くなれるのか自然と考えるようになるでしょう。

スポーツという決められた枠やルールの中で勝ち負けを争い、より強くなることを目指すことで健全な闘争心、つまり火星のエネルギーを発揮する場を確保できるのです。

 

勝ち負けが絡まない運動もたくさんありますが、火星の力が弱いかも、と思った人は徐々にそう言った要素のある運動にシフトしてくのも良いと思います。

 

最後に、タイトルにある通り、これがなぜ風の時代の処世術として必要と私が考えているのかお伝えしたいと思います。

 

まず、風の時代とはなんぞや、というところはみなさんにググっていただくこととして、めっちゃ簡単にまとめてしまうと、これからの時代、情報や人間関係の流動性はさらに高まっていき、社会構造やピラミッド型の組織などはどんどん機能しなくなり変革を迫られる、というのが占星術界における今後200年間の見通しになっているのです。

 

つまり、今までは不満やもやもやがある環境に留まっていてもそれなりにメリットがあったのですが、これからはどんどんそれがなくなっていきます。

 

良くも悪くも人間関係やコミュニケーションは情報交換の意味合いを増し、合わない場所からはお互いに立ち去ることで平和を保とうとする姿勢が主流になってくると考えられます。

 

なので、自分の不満が明確にコミュニケーションできないで相手に察してもらおうとしたり手を差し伸べ、寄り添ってもらうことを期待するのは難しい時代になってくると私は考えています。

 

これはまた別の回で書きたいと思っていますが、風の時代を司る水瓶座は博愛・平等を象徴する星座ですが、それは女神的な優しさや包容力とはまた違ったところにあるのです。あなたはAなのね、私はBなんだけど。そしたら一緒に〇〇できそうだね!あなたはCができるようになりたいと思ってるけどまだやったことない?そうかーじゃあまたできるようになったらね!他にCできる人いるかな?

みたいなイメージでしょうか。それぞれの個性を活かしながら協力関係を結ぶことが当たり前になる一方で、あなたは何がある?どんなふうにユニークなの?どうやって貢献できるの?と常に問われるような厳しさもあります。

 

なので、常に様々な人と交流し、情報を交換し、自分の居場所や立ち位置を確認しながら常に動き続ける必要があるのです。

 

これをやる上で、必要不可欠なのが火星の力です。自分から能動的に動く力、自分をアピールする力、他人の意見に左右されず、自分の感覚を信頼し、自分のアンテナでキャッチしたものをもとに前に進む力が必要なのです。

 

あとは、これは今までみたいなやり方やってると時代遅れになるぞって脅したいわけではないです。極論いえば200年後は水の時代になるので、水の星座が多かったりその価値観に生きてる人は最先端って考え方もできますからね。時代はただめぐるだけなのです。でも、やはりせっかく生きるなら無駄な努力はなるべくしないほうがいいし、イージーに過ごせるための適切なエネルギーの使い方を知っておいた方がいいと思うのです。(無駄な努力撲滅委員会会長の山羊座過多女です)

 

ということで、いい子ちゃんになりすぎてしまう、いつも失敗するのが怖い、なかなか行動に踏み出せないという人は今日書いたことを試してみて欲しいです。

あとは、一歩踏み出すということ、行動するということをあまり大事に捉えないのも大事です。

 

まずは今週モヤモヤしたことを書いてみましょう。これだけでも行動です。小さな行動を自分のために、実直にこなしてあげましょう。

私もまだまだ修行中です。一緒にがんばりましょー!

 

みなさんのホロスコープにおける火星やその他の星の配置をみて、自己理解や人生を前に進めるお手伝いもできます。

気になる方は以下リンクからDMでオンライン鑑定をお申し込みいただければと思います!

https://instagram.com/kaede_astro?igshid=MzMyNGUyNmU2YQ==

 

では!

ときめき、心地よさから尊厳、自己の確立へ

こんにちは。

 

今日は星占いについて書いていこうと思います。

人間生まれてから死ぬまで、年齢・成熟度によって自分の役割や主なテーマ、取り組むべきものは常に変化していきますよね。

 

以前の記事の中でもすこーし触れたように、西洋占星術において用いられるホロスコープ(皆さんが生まれた時の星の配置)は一生変わりませんが、その中でも各惑星には年齢域というものが割り振られており、その年齢に差し掛かると、特にその惑星の性質が強くでたり、その性質を会得していくことが重要になっていきます。

 

私自身の例を使ってもう少しわかりやすく説明してみます。

私のホロスコープにおける個人天体は以下になります。

太陽:射手

月:魚

水星:山羊

金星:山羊

火星:山羊

 

また、各惑星の該当する年齢域は以下のとおりです。今私は26歳の年なので、それ以降は一旦省略します。気になる方はググってみてください。

各年齢域の切り替わりの年齢は諸説あり、約1、2年前後します。

 

月:0-7歳

水星:8-15歳

金星:16-24歳

太陽:25-34歳

 

なので私は生まれてから7歳は魚座、8歳から15歳までは水星、16歳から24歳までは山羊座の性質を用いて、それぞれの惑星の司るテーマを取得してきました。

 

今日はおそらくこのブログの読者層が一番多い太陽域のテーマについて、その前の金星域との比較を含めて書いてみたいと思います。

 

 

まず、金星とはどのような象意をもつ天体なのでしょうか。

 

金星は愛や調和、ときめきや美意識などを表します。

そこから派生して、ファッションセンスや恋愛、芸術センスなどの象徴としても星読みにおいて使用されます。

 

16歳から24歳は心も体も一通り成長し、青春を謳歌するとともに少しずつ大人の仲間入りを目指して模索する時期なのではないでしょうか。

 

人によって人生の段階は様々ですが、新しい人や経験、物事に触れる中で自分にとっての好き嫌いを確かめ理解していく段階と言っても良いでしょう。

 

好きなものを好きなだけ楽しみたい!美味しいもの食べて、素敵な洋服を着て、デートして、歌って踊って楽しい時間を過ごしたい!

 

もちろん金星がどの星座かによっても変わりますが、基本的に金星期は自分の主観的な喜びを享受する時期と言って良いでしょう。

 

では太陽期はどのような時期なのでしょうか。

 

西洋占星術において太陽とは、自己の尊厳、人生の目的、自分らしさを表します。

 

実際に、25歳から35歳にかけては人生においても最も活動的かつ個性の出る期間といっても過言ではないのでしょうか。

 

社会に出て、自分と他者との違いを理解し、その中で自分の持っている個性をいかに発揮するか、その個性でどのように他者に影響を与えていくのかといったことを考える時期なのではないかと思います。

 

また、自分の個性を理解した上で、自分が人生において築き上げていきたいものはなんなのか、自分が大事にしているものは何かを見極め、取捨選択していく時期でもあるでしょう。

 

金星期から太陽期への切り替わりにおいて重要なポイントをお伝えするために、金星と太陽の性質の違いを説明します。

 

西洋占星術で用いられる天体には湿・乾のいずれかの性質で分類できます。

金星は湿った天体で、他者とくっつくこと、同化することが得意です。

「私もそれ好きー!」「いいなー私もそれやりたい!」「たのしそー!」みたいなイメージでしょうか。

一方太陽は乾いた天体として分類されており、これは自己と他者の区切りを明確にすることが得意です。

「なるほど、あなたはこういうところがあるのね、私はそうじゃないけど、いいね!」「他の人はみんなAをやってるみたいだけど、私に合いそうなのはBだな。」

「みんなにはなかなかわかってもらえないけど、私は〇〇が好き。」

太陽はこんなイメージです。

 

なので、金星期から太陽期の切り替わりにおいて一番重要なのは他の人の動きや選択にとらわれないことです。

他人の幸せやりたいことはあなたのそれとは同じとは限らないのです。というかほとんどの場合は違うのです。違う人間なので。

なので、他人を気にするのは程々にして、自分がやりたいこと、やるべきことに集中するのが一番大事なのです。

 

なんかよく言われてる話で、頭では理解しているつもりだけど、実際気にしないのは難しいわと思う人もいるかもしれません。

 

私がおすすめなのは、自分とやっていることのジャンルが全く違う人や、年代が違う人と関わることです。

自分と近いことをやっている人を見ると比較するのが簡単な分、フラットな気持ちで話を聞くのはどうしても難しいと思います。

なので、比べる余地もないくらい別の分野で活動している人と話してみると、お互いが立っている土俵がそもそも違いすぎて比較のしようがなくて良いかもしれません。

 

また、年代が違う人についても、自分と異なる課題に向き合ってる可能性が高く、客観的な気持ちで話を聞くことができます。また、年上の人の話を聞けば将来自分が直面するであろう課題を前もって知ることができますし、逆に自分と同じような課題を感じていて、普遍的な課題を認識することもできるかもしれません。

 

そもそもやりたいこととかわからん、自分が何を大事にしたいのかもよくわからんという人は、他人とあれこれ話す前に自己分析をしまくることをお勧めします。

 

生まれてこの方20年以上自分として生きているのだから、自分のことなんて大体わかっているわと思うかもしれませんが、人は自分が思っているより自分のことを理解するのが苦手な生き物です。

 

これまでの人生経験を振り返り、自分がどのようなことが好きで情熱を感じているのか、またどのような場面で困難を感じやすいのか、またどのような要素があれば比較的幸せにいられるのかなど徹底的に考えてみましょう。

 

また、行き詰まったら親や付き合いの長い親友などに意見を求めてみるのも良いと思います。

 

そして最終奥義は占いです。

占いと言っても西洋占星術四柱推命のような「命占」と言われるタイプの、生年月日を用いてその人の基本性質を理解することのフォーカスを置いた占いに触れてみるとよいでしょう。

 

タロットや水晶、おみくじなどはまた別の占いの種類に分類され、自己理解を深める用途には向いていません。

 

命占に触れることで今まで自分の弱点だと思っていた側面は自分の性質の一部であり、それは必ずしもポジティブでもネガティブでもなく、環境や相手によって変わるものであることが理解できるようになり、自己受容が促進されます。

 

自己受容とは自身の持つ特性をポジティブにもネガティブにも特別な意味づけをせず、ただ自分の中にあるものとして理解し、受け止めることを指すと私は考えます。

 

自己受容が中途半端な状態だとネガティブな自分の特性も丸ごと受け止めて欲しい、と過度に他人に依存的になったり、逆にそのネガティブな側面を受け入れてもらえないのではないかと心配して個性を隠したりしてしまいます。

また過度にポジティブに捉えている場合は、客観性を失い、周りからの反感を買うような行動をしたり、他人と摩擦が起きても自己正当化しすぎてしまったりします。(おそらくネガティブ寄りになる人の方が多い気がしますが。)

 

健康な形で自己受容が進めば、「自分にはこういうところがある、この特性はいいところもわるいところもあって、これがあるから自分を好きになってくれる人もいれば、これがあるから自分を嫌う人もいるだろう。でもこれは自分の一部だから周りの人が好きか嫌いかはそこまで問題じゃない。」というフラットな姿勢で自分の個性を理解することができます。

 

太陽期のテーマである自己実現や個性の発揮は十分な自己受容のあとに生まれます。

 

他人と自分を比較して落ち込んだり優越感に浸ることなく、ただ別の個体として見比べる意識で見てみると良いと思います。

 

以前占いの魅力について書いた記事の中でも記したとおり、西洋占星術を理解することで、人はひとりひとり異なっていて、この世に1人として同じ人間はいないということ、だからこそ誰もがユニークであると同時に誰も特別ではないことが腑に落ちます。

 

身近な人間ほど不満や欠点に目が向いてしまいますが、相手のホロスコープを読んで特性を理解すれば「あなたはそういう生態なのね」「私の生態とはこう違うからお互いこういう反応をしているのね」といい意味で引いた目でみることができます。

 

太陽星座とはあなたのホロスコープの中で最重要テーマといっても過言ではないでしょう。

でも、今まで書いたとおり、太陽星座としての力を存分に発揮するためには様々な意味での成長が必要不可欠になります。

 

自分を自分たらしめているもの、自分の変えられないところ、自分の尊厳を理解し、尊重することで、他人のそれにも目が向いて成熟した1人の人間として社会で活躍することができるのです。

 

自分の太陽のテーマを深く理解することで、ちょっとやそっとの嫌なこと、うまくいかないことではへこたれない力がついてきます。むしろそのような谷の期間ですら自分の成長の糧として解釈できる底力のようなものが身につき、人生に対して粘り強く、しなやかな姿勢で向き合うことができるでしょう。

 

25−34前後の皆さん、バチバチに輝いていきましょう!!(誰)

 

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では!!