すみえのいろいろ日記

本来自分の好きな音楽を語るブログとして開設しました。これからは占星術を中心により幅広いトピックについて色々と書いてみようと思います

半径5メートルから始める改革

こんにちは。

 

今日は国際女性デーですね。

せっかくなので、これにあやかってフェミニズムに絡めて色々書いてみようと思います。

 

まずは国際女性デーの起源についておさらいです。

国際女性デーは1908年3月8日、米ニューヨークで女性たちが労働条件の改善と婦人参政権を求め、大規模な抗議活動をしたことに由来して、『女性の政治的自由と平等のために行動する記念日』として、1975年3月8日に国連で提唱され、77年の国連総会で議決されたそうです。

 

ここ数年でよく聞くようになったので割と最近制定されたのかと思いきや、かなり歴史のある記念日だったんですね。

 

ちなみに、母の日のような感じで、身近な女性に、シンボルとされているミモザの花やプレゼントを渡す風習がある国もあるようです。

それから、なんと世界には国際女性デーが祝日になっている国もあるのだとか・・・

いいなあ、今年なんて3連休になるじゃん。日本が祝日になる日なんてくるんですかねぇ。

以下毎度お馴染みWiki先生から拝借しました。

 

てなわけで、女性やその歴史、これからについて思いを馳せる1日ですが、みなさんフェミニズムに対する印象ってどのようなものを持っていますか?

 

自分で情報収集したり活動を行っているフェミニストの方、言葉は聞いたことあるけどなんなのかよくわからない方、過激で少し怖い印象を持っている方様々かと思います。

 

ちなみに私は上記のどれにも属さないかなーと思っています。強いて言うならば、フェミニズムとは一定の距離をおきながら自分なりの形で女性の在り方が受け入れられるように生活の中で働きかけている実践者、という感じになるかなと・・・

 

ここから急ですが、私がこれまでフェミニズムとどういう距離をとってきて、今どのような形で関わっているのかを書いてみようと思います。

 

私がフェミニズムという概念に触れたのは大学に入ってからだったと思います。私の通っていた大学はジェンダーセクシュアリティ研究に一定の歴史があったのと、アメリカの教育制度の影響を強く受けていたことから、フェミニズムや性的マイノリティに対する意識が高く、授業もたくさん開講されていました。

 

フェミニズムに限らずさまざまな社会課題を学ぶ中で、「今の日本の現状はやばい、絶望的だ」という考えから「現状が酷すぎてどこから手をつけていけばいいのかわからない」とパンクしてひとりへたっていたのを覚えています。

 

あまりにも社会課題が山積みなのにも関わらず、若者の投票率は低く、仮に私が1票投じたところで到底政治は変わらないし、仮に政治が多少前向きに進歩しても効果的な政策が実施されて、自分や困っている人の生活が実際に変わるまでのタイムスパンを考えると気が遠くなってしまったのです。

 

要は個人の力で解決できないことを、まるで私個人の課題であるかのように感じてしまっていたのです。

また、その時の私のフェミニズムに関連する情報源は主にTwitterで、体系だったフェミニズムの歴史や知識を勉強していたというよりかは、自分と直接関わりのない遠い場所に住む誰かの女性として生きる愚痴や苦しみを日々見ていたのです。

今思えばこれは諸刃の剣で、どちらかというとあまり良いことではなかったなと思っています。このブログでも、折に触れて自分が接触する情報は意識的に取捨選択すべきであると言っているのも、この経験が元になっています。

 

と言うわけでネガティブな情報に酔ってしまったこと、こうした社会問題を解決することと自分が仕事をして食べていくことがいまいち結びつけられないまま大学を卒業して、毎日のようにそういうことを考える生活は一旦終わりました。

 

ただ、社会人として働き始めてからも根本的な問題意識が消えたわけではなく、自分ができることは何か、いつも考えていました。

 

いわゆるフェミニズムに関するイベントやミートアップに出席してみることも検討しましたが、フェミニズムをちゃんと学問として体系的に学んだわけではないことに引け目を感じていたのと、いまいちアイディアに共感できるものに出会えなかったので、それ以外の方法を模索してく中で、自然と自分なりの形にたどり着いたように思います。

 

それは、自分の身の回りの半径5メートルにいる人の社会的背景を理解した上で意識的にサポートする、ということです。

 

これは女性に限った話ではなく、性的マイノリティやエスニックマイノリティ、その他のいわゆる社会的に弱い立場に立たされている人(極論言えば白人男性以外)の属性を理解した上でその人が置かれている立場やそれに伴う問題を多角的にとらえてサポートすることを指します。

 

すごく単純化した例をひとつ書くと、あなたの周りに外国で生まれ育った女性Aさんがいるとします。彼女は非常に人格も優れていて、パフォーマンスも悪くないはずなのに、会社での昇進のチャンスを複数回逃している、としましょう。

この時、単純に考えれば、彼女の実力不足や運が悪い、といった捉え方になると思いますが、客観的なパフォーマンスが他の同僚よりも良い場合、日本的な間接的なコミュニケーションが不十分であること、ビザの問題があること、女性のため出産でキャリアが中断する恐れがあることから昇進が先延ばしにされている、と捉えることも可能かもしれません。

 

あと本題からずれるので深掘りしませんが、性的マイノリティはどうなんだ、そもそも人を属性に分類するな、という批判があるかもしれません。

まず、人の特定の側面に名前をつけることで個性が見落とされたり、単純化されてしまうのではないかという批判に対しては、私はその通りだと思います。

ただその一方で、人間の属性に限らず、何かを認識・理解する上で何かしらのカテゴリづけや分類を行うというのは、もはや反射的なレベルで起きる事象であり完全に無くすことは不可能だと思います。また、ある程度フェミニズムを実践的に取り組むのであれば、明確な議論を可能にするために分類づけは必要かつ有効だと私は考えています。

さらに言うと、1人の人間を一つのラベルだけで理解するのではなく、より多くのラベルで考えられるようになると、より複雑な背景の理解が可能になると思います。

 

あとは、半径5メートルという言葉もポイントだと思っています。私の大学時代のバーンアウトの一因に、自分にとって身近であるか否かを無視して、比較的距離の遠い他人の苦しみまで全力で受け止めようとしてしまっていたことがあります。

 

これは精神的キャパシティが無限にある人間であれば良いと思うのですが、残念ながら私は自分のことですら精一杯になることもあるので、自分のキャパシティを超えない中でできることをやるのがすごく大事だという結論に至りました。

 

心の底からどうにかしたいと思っているからこそ、短期的に熱くなってあれこれ動くよりも、長期戦で無理のない範囲で、自分ができることを確実にやりたいと思っています。

 

あと、このモットーでいくと、なかなかフェミニズムに共感する部分を見つけられない非当事者も、自然と自分なりの関わり方を見出せると思うのです。

これは私が大学の頃からずっと考えていたことですが、フェミニズムは他の学問とは違って当事者性がすごく重要だと考えています。

他の学問は主観をなるべく排除し自分が客観的な観察者となることがよしとされていると思いますが、フェミニズムはもっと主観性、個人の経験が根底にあるものだと思います。(多分ちゃんとアカデミアでフェミニズムやってる人からすると違うのかもしれません。ソースはありません。)

 

本当に社会が前進していくためには、現状の社会構造で実権を握っている男性が、どれだけフェミニズムを自分ごととして捉えられるかが重要だと思います。

もちろん数字や客観的エビデンスから理解を促すことも重要な一方、結局人間自分にとって大事なことだったら後回しにはしないということを逆手にとって、男性にもフェミニズムが自分ごとになるようにしてもらえれば良いと思っています。

 

その過程として、男性には自分の家族や友人など身近な女性が普段抱えている問題を理解し、それは果たしてその女性個人の問題なのか?ということを突き詰めて考えることが第一歩になると思うのです。

 

これはもっと言ってしまえば、自分の周りにいる他者の苦しみに関心を持ち、ケアするという人間として非常に根源的な営みに基づくもので倫理や道徳の世界になってきてしまうのですが・・・

 

不思議なことに、上記のような営みは一般に女性が男性に比較して得意であると言われていますよね。

ここも実は私的にはポイントで、男性のやり方に合わせてフェミニズムを実践しないでいたいのです。そういうアプローチを取る人を悪く言うつもりはありませんが、私は自分がやりやすい形を模索した結果こうなりましたし、女性的なアプローチを通じてフェミニズムを広める、というのもなんか面白いかなとおもってやっています。ちょっとした反抗の気持ちでもあります。

 

また、半径5メートルより遠い人はどうすんだ、と思われると思いますが、私の友達や仲間は、彼彼女らの輪があるので、そこでも同じ営みがされていれば良いと思っています。で、似たような考えをもった仲間同士でもまたサポートしたりアイディアを交換したら、芋蔓式に輪が広がっていくので、そんなこんなしていくうちに徐々に社会が変わっていくのではないか、と私は思っています。

 

大学の頃はもっと政治や教育、メディアといったマス的な方向でどうしたら世の中が良くなるのか考えていました。今でもその方法は無意味と思っているわけではないですし、むしろ非常にパワフルだと思っている一方自分のフィールドではないこと、結局人間は自分の個人的なつながりの中から強く影響を受けている、という考えから草の根的な動き方に力を入れています。

 

フェミニズムに限らず、大丈夫かよ〜と嘆きたくなる出来事もまだまだ多いですが、それでも物事は確実に前進していると感じます。

私が大学生だった5,6年前に比べて、フェミニズムやその他の社会問題について関心を持つ人は増えたと思います。

 

地道で終わりのない旅ですが、焦らず腐らず、自分のできることを自分のできる範囲でやっていこうと思います。

 

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では!