こんにちは!
早くも二月ですね…毎年一月から三月はバタバタしてるうちにあっという間に過ぎてしまう気がします。
今日は前回に引き続き、番外編です!
一言で言うと、「インプットに意識的・選択的になろう」という話をしたいと思います。
音楽に限らず、ニュース、ネットの玉石混合の情報、SNS、本、映画、漫画、人との会話など、私たちは毎日恐ろしいほどの情報量に晒されています。
どっかの本で、現代人の一日に触れる情報量は江戸時代の何倍だとかなんだとか読んだきが。。。
もちろん色々な要因があるので、江戸時代みたいに生活することはほぼ不可能ですが、少なくともある程度意識的になって触れる情報の量と質に敏感になった方が良いな、と最近改めて感じます。
ここ最近で立て続けに2件、読書は多読ではなく、本当に質の良いものに絞った方が良いと言う趣旨のツイートに出会いました。
普段から積読&同時進行複数冊読み常習犯の私にとっては少し耳の痛い話でしたが、確かになとやけにすんなり納得しました。
もちろん興味のない本を毎日読んでいるわけではないですが、とにかくなんでも読んでいればいいという話でもないな、と思ったのです。
特に本に限れば、映像や音楽に比較して、情報処理に時間がかかることが多いので、何でもかんでも読んでいると、とにかく時間が足りなくなってしまうのです。
それから、本の場合は特に、読んでいるだけで「なんか有益なことをして時間を過ごしている感」が簡単に生まれてしまうので、それも危ないなと思いました。
これは冒頭に挙げた他のコンテンツにも当てはまる話だと思っています。
特に聞きたいわけではないけど、なんとなく惰性で音楽を聞く、ものすごく興味があるわけではないけど、手持ち無沙汰だからYoutubeを見る、などどうしてもやりがちなのですが、何かコンテンツに触れていればそうしていないよりは賢く、センス良く、教養のある自分になれた気がしてしまうと思うのです。
じゃあどうすればいいんだ、と言われると私もまだちゃんとわかっていませんが、とにかく今までとは違うパターンを踏むのがいいのかな、と今のところ考えています。
少なくとも私は、日常の中で何もしていない時間がほとんどないので、何もしない時間を作ってみるとか、あとは今までやっていなかったことをやる時間に当ててみようと思っています。
ちなみに、誤解のないよう添えておくと、コンテンツにたくさん触れることが悪いことだとは思っていません。自分の趣味嗜好をより深く理解するためには一定レベルの量のインプットは必要不可欠だと思います。
ただ、インプットにおける優先順位を、あるタイミングで量から質に変える必要があるのではないかな、と考えてみたというところです。
(多分量と質はタイミングによって行き来するものと言う解釈の方が正しそう)
「なんとなく有益なことをしてる感」の何が問題か、というと一言で言うと何も残らない点だと思います。
もちろん何かをインプットしたことによる知識や情動は私たちの中に残りますが、あまりに量が多いと、定着する間も無く、それらが流れていってしまう感覚があります。
(予定がたくさんあって、どれも楽しいんだけどちょっと詰め過ぎた時に私はよくこれを感じます)
ご飯をたらふく食べたらしばらくお腹を休めるように、何かしらのインプットがあったらそれをちゃんと咀嚼するための時間を自分に与えてあげないと自分のものにならないと思います。(これすごく苦手。映画とかすぐ考察調べちゃう)
なんか色々とグダグダ書きましたが、めちゃくちゃ簡単に言えば、時間の使い方にもっとシビアになろうということを言いたかった気がします。
それは別に自分のキャリアにつながるか、とか金になるか、とかそういう視点である必要はなく、自分が得られる満足感や納得感の質を追求することなのかな、と考えています。
好きな曲を聴いたり、好きな小説を読めば、それは想像した分だけの幸せを受け取れるけど、それをあえてやらずに、あたらしいピンとくるものを待ってみる、みたいな大人の余裕を持って情報と触れ合いたいです。
今回はかなり取り留めもなく、何言ってるかわかんない感じになってしまいましたし、なかなか共感の得られなさそうな考えだと思いますが、楽しんでもらえていれば幸いです。
ではまた!