すみえのいろいろ日記

本来自分の好きな音楽を語るブログとして開設しました。これからは占星術を中心により幅広いトピックについて色々と書いてみようと思います

スピリチュアルとの向き合い方

こんにちは。

 

今日はスピリチュアリティの存在意義と向き合い方についてあれこれ書いていきたいと思います。

 

いつもブログ書く前に頭の中でなんとなく書きたいことを整理するのですが、いつも以上にまとまっておらず、即興出たとこ勝負になりそうなので、お付き合いいただければと思います。

 

よく、「あの人スピってる」なんて言い方しますが、そもそもスピリチュアリティとはなんなのでしょう。いつも通りWiki先生に聞いてみました。

 

スピリチュアリティは、英語Spirituality片仮名表記で、訳語には「霊性[1][注釈 1][2] や「精神性」などがある[3]。ただし、キリスト教などの組織的な伝統宗教からは離れて個々人が霊性に目覚める[4] ような新しい文化運動・宗教現象などについて1990年代以降はカタカナ表記される方が優勢であるが[4][5][6]、「霊性」と「スピリチュアリティ」という訳語を同じものとして扱うこともある[7]霊性精神世界スピリチュアリズム心霊主義)に関わる意味ではスピリチュアル(霊的)ともよばれる[6][注釈 2]

 

とのことで、結局いまいちわかりませんが、関連事項には宗教、心理学、超自然や超能力に関する事項が記載されていました。なんとなく全体感が掴めたと思います。

 

簡単にいってしまえば、精神に関する様々な事柄ということだと思います。

 

ここで、私が思い浮かぶ近接概念として、アミニズム、オカルト、都市伝説や陰謀論などがありますが、逆に言えば少なくともwiki先生はこれらの概念とスピリチュアリティを分けて定義しているということは注目しておきたいです。

これらの概念は、科学の範囲外の事柄として一緒くたにまとめられやすいですし、実際このうちのどれかに興味を持っている人は、それ以外にも興味を持つ可能性が高いので、関連性の高い概念ですが、同じ概念ではないということです。

 

で、スピリチュアルって多分少し前(COVID前とか)に比べるとだいぶ流行ってると思うのですが、とはいえ抵抗感をもっている人も少なくないと思います。

 

まず、なぜスピリチュアリティに対して抵抗感を持つ人がいるのか、特に日本に限って私なりに理由を考えてみました。

 

1点目は宗教に対する認識が薄く、話題にすることが若干タブー視されているからです。

日本が宗教に対してブロックを持つことになった最初のきっかけは第二次世界大戦だと私は考えてます。(自論)

真珠湾攻撃の開始や特攻隊など、当時の日本軍を推進する上で根底にあったのは天皇崇拝(=神道)で、戦後日本はGHQによってこの精神構造を徹底的に否定し排除されました。

こういう話をすると若干陰謀論っぽく(危険な思想を話してるように)聞こえる時点で不思議なのですが、さっきふざけて自論とか書きましたが、これは私の妄想ではなく、丸山眞男という非常に著名な政治学者による学説で書かれていたことです。

ハードカバー500ページ越え、しかもかなり難解とエクストリームスポーツばりのハードさなので、1人で読むのはお勧めしませんが、もし興味ある人いたら一緒に読書会とかしたいです。(私も半分くらいで止まってるので)

https://www.amazon.co.jp/%E3%80%94%E6%96%B0%E8%A3%85%E7%89%88%E3%80%95-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%A8%E8%A1%8C%E5%8B%95-%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E7%9C%9E%E7%94%B7/dp/462430103X

 

ほかにも戦後にオウム真理教による地下鉄サリン事件があったこともかなり影響していると思います。

新興宗教はその他の宗教とは異なると理解していても、心理的な抵抗感が強く残るのはある意味仕方がないとは思います。(流石にすでにかなり時間が経ったことを考えると、それを理由に宗教という概念に対して無知でいることの免罪符にするにはだいぶ無理があるとは個人的には思います。)

 

ということでこんな近現代の出来事から、日本人は自らが信仰を持つことはおろか、宗教について話題にあげることすら憚られるという土壌が出来上がったと私は考えています。

 

2点目は心理学に対して、科学の一種であるという認識が低いことが挙げられると思います。

 

これは正直理由は私もよくわかっていないのですが、心理学は立派な学問の一種で、他の学問分野と同様に方法論や手法をもちいて研究が行われているにもかかわらず、よく言えば大衆化、悪く言えば似非科学的な扱いを受けていると思います。

 

おそらく理由は心理学と全く関係のない文脈で心理という言葉が使われているからだと思います。

 

例えば丸三角四角の図形があってこれを選んだあなたはこんな性格です!みたいなネット記事ありますよね。あれを心理テストと呼んでいると思うのですが、実際心理学の研究において実施する心理検査はあれとは全然別物なのに、心理テストの延長線上に心理学があると勘違いする人が多いのかな、というのが私の推測です。

 

ふと、元々西洋発祥の学問で日本で受容されたのが最近であまり定着していないのかな、と思って簡単に調べたところ、蘭学とかが入ってきた江戸時代前後には一応概念としては入り始めていたようなので、西洋医学がばっちり根付いていることを鑑みるとおそらくそこは理由ではなさそうです。

もしかすると、こころや精神を科学的にとらえるという発想自体が西洋的であまり日本人の精神に馴染まない、みたいなことはあるのかなと思いつつ、きりがないのでこの辺にしておきます。

ちなみにソースはこちら。

https://www.ritsumeihuman.com/uploads/publication/ningen_05/247-258.pdf

 

実は一番最初大学の学部を悩んだ時、心理学でもやってみるかーと思いつきで調べてみたら受験科目に数学があって即座に挫折したことがあるのですが、心理学って統計的側面が結構強いんですよね。(もちろんいろんな手法がありますが)

扱っているものがこころや精神というぼんやりしたものであるだけで、やっていることは統計に近いですし、そもそも脳波測ったりもするから、文系っぽい扱われ方してるけどどちらかと言えば医学じゃん?とすら思うんですが、〇〇心理学!とか恋愛心理!みたいな言葉の使われ方の影響で心理学=読心術・マインドコントロールみたいに思われがちなのかもしれないです。

 

長くなりましたが、このようにスピリチュアリティに内包される大きな二つの概念(宗教・心理学)がどちらも誤解とタブーのベールに包まれてしまっていることで、日本人の中にはスピリチュアリティに対してもはや無意識レベルの抵抗感を持つ人が一定数いるようです。

 

 

とはいえ生きていくにはスピリチュアリティってある程度必要じゃない?毛嫌いせず適切な距離を保とうよ、という話をここからしようと思っていたのですが、ここまでで思ったよりもかなり長くなったので、続きはまた別で分けて書こうと思います。

 

今日の記事は引用元が結構ゴツくてもはや論文みたいになりましたが、興味を持ってくれた方は日本人の精神構造について色々勉強してみるとおもしろいかもしれませんよ(適当)

 

では!