すみえのいろいろ日記

本来自分の好きな音楽を語るブログとして開設しました。これからは占星術を中心により幅広いトピックについて色々と書いてみようと思います

風の時代/多様性についてざっくり考えてみた

こんにちは。

 

暑い日が続きますね。冷房の効いた部屋にいても熱中症にはかかるらしいのでみなさん健康第一で元気に過ごしてくださいね。

 

今回は全く音楽とは関係ない話を書いてみようと思います。

最近音楽じゃない話を書きすぎているので、別のブログを作り直すか、podcastとかの喋り系の発信に変えてみようかと考えていますが、プラットフォームをどうするのか考えるより前にアウトプットしたいことがでてしまうのでとりあえずカオスなまま進行します。

 

みなさん風の時代って聞いたことありますか?

2020年12月22日に水瓶座土星木星が重なるという天体イベントがありました。

占星術の世界ではこのように比較的回転周期が長く滅多に重なることのない天体が重なるタイミングが節目となり、社会全体の価値観が変化して時代が切り替わって行くと考えられています。

 

風の時代という単語に親しみがない方でも、コロナやそれに伴う生活スタイルの変化で公私共に大きな変化があった方も多いのではないかと思います。

 

風の時代を象徴するキーワードとしては、多様性(個性)、テクノロジー、平等、精神性(↔︎物質性)などがあります。

 

今回はこれらを色々縦横無尽につなげあわせて何となく私なりの風の時代に対するざっくりとしたイメージをお伝えしてみたいと思います。

かなり主観的な考察なのと、リサーチが追いついてなくて推測や直観で書いてるところが多いので、ふーんと思ってもらえたら嬉しいです。(ほぼ独り言だからここから燃えるとかはないとは思いますが)

 

まず、人々の関心が目に見えるもの(物質)から目に見えないもの(精神)に移っていっていることは、みなさんも肌感覚として感じているのではないでしょうか。

 

マインドフルネスや瞑想、アンガーマネージメントみたいな単語も、ここ数年でかなり浸透した気がします。

 

これは純粋に物質的なものから得られる幸福感や快楽には限界があることに多くの人が気づき始めたことによる自然の帰着だと思います。

また、日本に限定して話せば、大きな戦争などもなく、生まれた時から生活に必要な最低限の物質は基本的に確保されているため、物質を獲得することに多大な労力をかけたり、それを中心に自分の人生をプランニングすることも減ったのだと思います。

 

また、さまざまなテクノロジーの進化によって今まで必要とされていた物質が必要で無くなったことも関係していると思います。(テクノロジーの進化はコンピューターの誕生以降物質を非物質化すること=仮想化することを意味するようになったと思います。)

 

食べるものにも困らない、着る服も今日寝る場所もある(それが全て自分の所有物であるかは別として)という状況が当たり前に毎日続いている。客観的にみれば「幸福」といっていいはずなのに、なぜか幸福感が感じられない。何かが欠けている気がする。

現代日本にはこんな言語化できないモヤッとした欠落感を抱えた人がたくさんいるように思います。(主語でかすぎ)(Twitterのみすぎかも)

 

で、みんなこの欠落感の正体はなんなのか考えたり、考えないうちにも何かで埋めようとしてお酒を飲んだり買い物したりサウナで整ったりしてるんだと思います。(no offence)

欠落感を埋めようみたいなマイナスをプラスだけじゃなく、ゼロをプラスにするモチベでやってる人もたくさんいると思いますが。

 

で、非物質的な幸福を追求していくと基本的にみんな自分の内面性や主観に頼らざるを得なくなってくるのではないかな、と個人的に考えています。

 

ここで早速反駁してみましょう。

非物質的な幸福の例として、人間関係による幸福があります。

 

主観(相性、好き嫌い、その他自分がパートナーに求めるもの)では無く客観(収入、社会的ステータス、客観的な外見の良し悪し、その他自分以外の他者がパートナーを評価する上で重要視しそうな要素)で決めてる人もいっぱいいるじゃないか!という意見があるかもしれません。

 

ですが、おそらくそういう人はパートナーを物質として捉えているのではないかと思います。トロフィーワイフという言葉がその本質をよく表していると思います。アクセサリー感覚でパートナーを選んでいる、ということです。つまり、パートナーを非人間化(物質化)してると言っても良いかと思います。

なので、このような価値観でパートナーを選んでいる人が得ている幸福感は、物質的幸福感と同じようなものなのではないか、と思います。

 

しかし、非物質的な幸福感を本当の意味で追求した場合、他人が欲しがっているものが必ずしも自分が求めているものとは一致しなかったりするのではないでしょうか。

 

ここで唯一頼りになるのは自分の主観、内面性、経験、感覚です。

もちろん他人の意見を見聞きすることは非物質的幸福感の探求に貢献するとは思いますが、他者の意見を取り入れた上でそれが本当に自分にとって必要なものなのか、求めているものなのかは自分にしかわからないというのがミソだと思います。

 

で、こういう内面の探求をしていくと、自分と他人の違うところは何なのか、自分を自分たらしめているものはなんなのか、という問題にぶちあたり、個性というものを考え始めると思います。

 

近年ジェンダーセクシュアリティに関するトピックがかなりオープンにされるようになってきました。これも、先ほど例に出したように人間関係が人間の非物質的幸福においてかなりの割合を占めていること無関係ではないと思います。

 

また、ジェンダーセクシュアリティに限らず、民族的マイノリティやいわゆる障がいをもつ人への眼差しが徐々に変化しつつあることも私は比較的近い文脈として捉えています。

 

ここからはさらに乱暴なまとめ方になります。

 

上記のような人々は今までの社会や歴史の中ではいなかったことにされていたと言っても過言ではないと思います。

それぞれのマイノリティグループがそれぞれの理由で、その個性をもった状態で社会と対峙することを許されていなかったと思います。

例えばゲイの男性がいたとして、社会生活はそつなくこなしていたとしても、自分がゲイであるということも誰一人にも打ち明けられずに過ごしていたなら、それはもはやその人が完全体のその人として社会で存在しているとは言い難いのではないかと思います。またその人は自分がゲイであるということに関してはどこまでも自分の内面の問題

として扱うことになります。

しかし、近年ではそのような内面化されていたマイノリティ性を個性の一部として表現することに対して社会の寛容性が上がってきているので、内面化されていた個性と外側で表現している自分との乖離が減ることで結果的に非物質的・精神的幸福がもたらされているような気がします。

 

これは別に性的マイノリティの人はそのことをアウティングした方が幸せだ、と言いたいわけではありません。単純に他人が認識する自分と自己認識にあまりにも乖離があったり自分の個性の一部を必要以上に長期間抑制していると色々と不具合が起きてくるのではないか、という意味で書いています。

 

さらに言ってしまえば、これらのマイノリティ性と紐づけて語られる要素も人によってさまざまな組み合わせがありますし、同じくくりの中でも個人差があるので、究極的には一人として同じ人はいないよね、という話になりますし、個々人の在り方を尊重しましょうよね、というのが風の時代の価値観の主軸になっていくと思います。

あと付け加えるとわかりやすく個性とマイノリティ性を≒として扱ってしまいましたが、数が少なかったり抑圧されていることだけが個性と結びつくと思っているわけではありません。ただ、近年「個性」として取り沙汰される性質がマイノリティ性と結びついていることと、非物質的幸福の探求に関連があるのでは、ということを説明したかったです。

 

で、結局平等ってどうやって実現すんのよとか個性とか言っても限界があるとか!とか色々議論は山積みですが、その辺は専門でやってる人にお任せしようと思います。(逃げ)

 

毎度のごとくツッコミどころ満載の雰囲気殴り書きになってしまいましたが、なんか何と無く言いたいことが伝わってる人が一人でもいたら嬉しいです。

 

 

JPOPってすごいや

こんにちは。

 

お元気ですかー!

GWは夏みたいな天気と思いきや、雨が降ったり、地震も多いし雷鳴るしで色々落ち着かない日々ですが、ゆっくりぼちぼちやっていきましょうね。

 

今日は5周くらい回ってJPOPってやっぱすごいんじゃねって話をしたいと思います。

 

多分これ読んでくれてるみなさんは結構音楽が好きで普段から聴いてるでしょうから、自分の好き嫌いもある程度わかっていて、その辺でかかってるJPOPを惰性できくことはあまりないんじゃないかと推測しています。

 

私もJPOPは昔から身近だったので知ってる曲は多いけど、カッケー!と思って聞く感じではなくなっていました。

 

最近はアンビエントとかテクノとかを能動的に聞くことが多かったのですが、やっぱり宇多田ヒカルとかは日常ベースで聞きます。宇多田ヒカルはホームなので。。。

 

で、そういう感じで聴いてるとApple Musicが気を利かせて関連JPOPを流してくれるんですよね。

 

そうするとやばい、とてもじゃないけど聴いてらんないとなることもあるんですが、たまに逆に面白くなってきたりとか、食らったりすることがあって。

 

例えば今日はロードオブザリングの大切なものが流れてきて、なんと真っ直ぐな歌詞・・・と不覚にもうるっとしてしまいました。

 

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「あたたかい人の優しさに僕は答えられているのだろうか

この旅が終わる頃にはその答えも見えてくるだろう」

 

とか捻りもクソもへったくれもないけど、うわーーぐさり、となるんですよね。

 

ここ数年はJPOPもだいぶ洒落ついた毛色の曲が増えたので、単純に世代の問題かもしれないけど、2000年代、2010年代とかのヒットJPOPは結構その毛色が強いかなーと思いました。

 

聴いてるこっちが恥ずかしくなるくらい捻りもないストレートな歌詞が多くて、普段気遣い婉曲オブラートと気持ちを素直に言葉にする機会が少ない日本人だからこそ、歌となるとやけにド直球になるのかな?みたいなことを考えたりしました。

 

あと完全に私の趣味で恐縮ですが、mihimaruGTね!!!

 

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めちゃくちゃふざけてて景気良くて大好き。

これ流行ってる時に高校生とかだったら軽乗ってこれ流しながらギャル男と海までドライブデートとかいきたかった。絶対最高じゃん。

 

書いてて、多分これはノスタルジア補正が多分にかかった主観だろうと気付いたので、完全に自己満記事になっていると思いますが、同い年とかに響いてると嬉しいです。97の人いかがー!?!?!

 

まあとにかく、真面目腐ってかっこいい曲ばっか聴いてるとそれはそれで凝り固まるんで、たまにはひねりゼロ、ダサさに共感性羞恥でしんじゃうかしなないかギリギリの選曲で遊んでみると楽しいよっていう話をしたかったです。

 

あと女の子はたまにaiko聴いてみましょ。甘酸っぱいor苦い思い出と共に学生時代にタイムスリップできます。

 

懐メロJPOPで元気にいくぞー!

ぼんやりしよう

こんにちは。

あれやこれやで4月終わりますね。なんという・・・

3-5月はあったかくなって出かける機会も増えたり、なんかバタバタしますね。

 

久しぶりに一人でゆっくりものを考えるモードに入れて、ブログ書きたいなと思って色々考えていたんですが、前回書いたことの続きみたいな感じでいこうと思います。

 

前回の記事では、質の良くない情報をぼーっと流し込むのをやめようということを書いたと思っていて、やはり今でも同じことを思っています。

 

でも、現実問題マジでなんのインプットもなく、その場でぼーっといるのって逆に難しいんですよね。絶対考え事始まるし。そうなると調べ物したくなってスマホ触りたくなるし。

 

なので、もうちょっと実現可能性のある方法がないかなと思って考えたんですが、最近私がやっているのは、歌詞がなくてゆったりした曲をきく、ということです。

 

アンビエントとかクラシック、ジャズとか聞くひとはその辺がいいと思いますし、そこまでいくと刺激足りなすぎてうずうずするわって人は緩めの電子音楽全般とか(広すぎ)。

あとトライバルもおすすめです。

(ちなみに刺激弱い音楽うずうずするは慣れの問題な気がします。ゆったりの精神状態を自分の中に構築しよう)

 

歌詞の有無で聞いている時の脳みその状態って結構違う気がしていて、歌詞があるとそれを意識的に聞いているわけではなくても、言語モードonになるというか、そういう作用がある気がします。

で、歌詞がない曲聞いている時は、考え事してるのかしてないのかよくわかんない状態になるんですよね。音の感じによってイメージとか色とか雰囲気が浮かんだりとかはするけど、そこから派生して深く思考するモードには入りにくいし、曲と関係ないこと考えることもできるけど、音無しでぐるぐる思考する時とはまた違う感じというか・・・

 

めっちゃぼんやりした違いなのでうまく言葉にできていませんが、とにかく雑なインプットするくらいなら歌詞のない音楽をずっと聞いてる方がヘルシーな感じがします。(ぼんやりすぎる)

 

少し話がずれますが、最近は何に頭のキャパシティを割くかを考えるようになりました。で、自分がぼーっと考えていること、逆に囚われたみたいにずっとぐるぐる考えてしまうことって無意識の部分と繋がっていると思っていて、音楽は無意識に与える影響が非常に大きいメディアだなと思うのです。

(これは私が結構聴覚優位だからそう思っているだけかも。ここも別で掘り下げたい)

 

なので、普段どんな音楽を聞いているかで、本人が意識して思考する前の、思考のフィールドが無意識的に規定される気がします。

 

やばい!マジで全然言語化できていない。

いつにも増して何言ってるかわからない感じになってすみません。

 

まとめられる気が全くしないので、最後におすすめのトライバル貼っておきます。

何書いてるのかなんとなくわかった人、音楽と無意識についてなんか考えてることある人はコメントとかDMくれると嬉しいです。ディスカッションしたい!

 

soundcloud.com

「手持ち無沙汰する時間」を作る

こんにちは!

 

早くも二月ですね…毎年一月から三月はバタバタしてるうちにあっという間に過ぎてしまう気がします。

 

今日は前回に引き続き、番外編です!

 

一言で言うと、「インプットに意識的・選択的になろう」という話をしたいと思います。

 

音楽に限らず、ニュース、ネットの玉石混合の情報、SNS、本、映画、漫画、人との会話など、私たちは毎日恐ろしいほどの情報量に晒されています。

 

どっかの本で、現代人の一日に触れる情報量は江戸時代の何倍だとかなんだとか読んだきが。。。

 

もちろん色々な要因があるので、江戸時代みたいに生活することはほぼ不可能ですが、少なくともある程度意識的になって触れる情報の量と質に敏感になった方が良いな、と最近改めて感じます。

 

ここ最近で立て続けに2件、読書は多読ではなく、本当に質の良いものに絞った方が良いと言う趣旨のツイートに出会いました。

 

普段から積読&同時進行複数冊読み常習犯の私にとっては少し耳の痛い話でしたが、確かになとやけにすんなり納得しました。

 

もちろん興味のない本を毎日読んでいるわけではないですが、とにかくなんでも読んでいればいいという話でもないな、と思ったのです。

 

特に本に限れば、映像や音楽に比較して、情報処理に時間がかかることが多いので、何でもかんでも読んでいると、とにかく時間が足りなくなってしまうのです。

 

それから、本の場合は特に、読んでいるだけで「なんか有益なことをして時間を過ごしている感」が簡単に生まれてしまうので、それも危ないなと思いました。

 

これは冒頭に挙げた他のコンテンツにも当てはまる話だと思っています。

特に聞きたいわけではないけど、なんとなく惰性で音楽を聞く、ものすごく興味があるわけではないけど、手持ち無沙汰だからYoutubeを見る、などどうしてもやりがちなのですが、何かコンテンツに触れていればそうしていないよりは賢く、センス良く、教養のある自分になれた気がしてしまうと思うのです。

 

じゃあどうすればいいんだ、と言われると私もまだちゃんとわかっていませんが、とにかく今までとは違うパターンを踏むのがいいのかな、と今のところ考えています。

 

少なくとも私は、日常の中で何もしていない時間がほとんどないので、何もしない時間を作ってみるとか、あとは今までやっていなかったことをやる時間に当ててみようと思っています。

 

ちなみに、誤解のないよう添えておくと、コンテンツにたくさん触れることが悪いことだとは思っていません。自分の趣味嗜好をより深く理解するためには一定レベルの量のインプットは必要不可欠だと思います。

ただ、インプットにおける優先順位を、あるタイミングで量から質に変える必要があるのではないかな、と考えてみたというところです。

(多分量と質はタイミングによって行き来するものと言う解釈の方が正しそう)

 

「なんとなく有益なことをしてる感」の何が問題か、というと一言で言うと何も残らない点だと思います。

 

もちろん何かをインプットしたことによる知識や情動は私たちの中に残りますが、あまりに量が多いと、定着する間も無く、それらが流れていってしまう感覚があります。

(予定がたくさんあって、どれも楽しいんだけどちょっと詰め過ぎた時に私はよくこれを感じます)

ご飯をたらふく食べたらしばらくお腹を休めるように、何かしらのインプットがあったらそれをちゃんと咀嚼するための時間を自分に与えてあげないと自分のものにならないと思います。(これすごく苦手。映画とかすぐ考察調べちゃう)

 

なんか色々とグダグダ書きましたが、めちゃくちゃ簡単に言えば、時間の使い方にもっとシビアになろうということを言いたかった気がします。

 

それは別に自分のキャリアにつながるか、とか金になるか、とかそういう視点である必要はなく、自分が得られる満足感や納得感の質を追求することなのかな、と考えています。

 

好きな曲を聴いたり、好きな小説を読めば、それは想像した分だけの幸せを受け取れるけど、それをあえてやらずに、あたらしいピンとくるものを待ってみる、みたいな大人の余裕を持って情報と触れ合いたいです。

 

今回はかなり取り留めもなく、何言ってるかわかんない感じになってしまいましたし、なかなか共感の得られなさそうな考えだと思いますが、楽しんでもらえていれば幸いです。

 

ではまた!

番外編:読書のすゝめ

あけましておめでとうございます!

 

今年もバリバリ更新していきます!が!新年一発目は番外編からスタートしようと思います。

 

私は音楽と同じくらい本が好きで、その時の意識状態でどちらかに比重が重くなります。

 

そこで今日は音楽は好きだけど、読書はちょっと難しいなと思っている方に向けて、偉そーにあれこれ書いてみようと思います。

 

おそらく、読書が苦手に感じている人は、一定量以上の活字を一定時間集中力を保ったまま読むことができないためそう言っているのだと思います。

 

ですが、漫画や図鑑、雑誌、絵本なども本だと捉えれば、おそらく読めるものが含まれる人も多いと思います。そうすればまずは本が読めないという自分に対する認識は少しずつでも変わってくると思います。

 

また、読み方の自由度を持たせることもとても大事だと思います。

例えば私は現在読みかけの本が最低でも8冊はあります。それなりの頻度で読み進めているものもあれば、最後に読んでから1年以上読んでいないものもあります。

 

でも、自分の性格の特性上、どうしても一冊読み切る前に気になる本を買ってしまいそちらも読み始めてしまうことをやめられないので、読み切らないと次に進まないなどの縛りは自分に与えていません。

(ただし、内容がごちゃごちゃになりそうな雰囲気の似ている小説等は同時に2冊以上は読まない等はなんとなく考えています。)

 

また、本を読むときも、15分くらいで気が散って別のことをし始めるときもあれば、ものすごく熱中してご飯と仕事の時間以外全て読書に使ってしまう時もあります。

 

でもどのみち本を読んでいることには変わりないので、全く問題ないと考えています。

 

また、新書や専門書、哲学書などは1回目で全てを理解するつもりで読まず、とりあえずざっと読んで要旨をつかむようにしています。

そもそも良質な本であれば1,2年経ったくらいでは内容が古くなることはないので、思い返したタイミングで気になった部分だけ読み返したりする前提で読むのがよいと思います。

 

さらに、読む順番、読む部分も自由で良いと思います。

物語の場合は難しいですが、そうでなければ目次をざっと見て、気になったところだけ読んだり、例や説明が煩雑すぎる部分は飛ばしたりしてとにかく読めそうなところを読みます。

 

 

ここまでだけでも、かなりいけそうな感じがしてきませんか?

 

 

とにかく大事なのは自分の心地よい読み方を確立して、それを他人と比べないことだと思います。

知識をつけたいのか、資格を取りたいのか、物語を楽しみたいのか、本を読むと一言に言っても目的は十人十色です。自分の畑と違うところにいる人と比べて下手に真似しようとすると逆にうまくいかない気がします。

 

では、ざっくり目的の分類ができたので、目的別にお勧めポイントを書いてみたいと思います。

 

  1. 知識をつけたい(雑学)
    仕事に生かすなどではなく、とにかく知的好奇心を満たしたい、人におっと言わすような豆知識を身につけたい人向けです。

    正直雑学と言ってもかなり千差万別なので難しいですが、まずは知りたいことをの精度をある程度明確にして、入門書を一冊買いましょう。
    ここでポイントは一度に欲張って何冊も買わないことです。入門書を読む中で自分がそのジャンルを一定の深さで勉強できそうか見定めてから、さらに専門性の高い本に進むことをお勧めします。
    また、一定のジャンルを勉強する場合は一定期間に2-4冊程度読むといいと思います。知識をつける場合はある程度集中的にやったほうが学習効率が良いからです。

    ちなみに私は知的好奇心を満たすための読書が8割なくせに、勉強したいジャンルが幅広いのでこの通りでないです・・・

    また、テクノロジー関連や医学等は一定期間が経つと情報が古くなってしまうので、古本をあたる際は注意が必要です。
  2. 知識をつけたい(仕事)
    いわゆるビジネス書のような本を読んで仕事に活かしたい人むけです。(実は一番苦手です)

    地味な角度からのポイントですが、原著が英語の場合、タイトルの日本語訳がめちゃくちゃで内容とタイトルが一致していないことが多々あるので、タイトルだけで決めず、目次やレビューを確認すると良いと思います。

    また、理想論を言えば、古典を元ネタにしているものは原本もしくは周辺の解説書程度はあたることができると良いかなと思います。(それをする時間がない人のために内容を希釈して読みやすくしたのがビジネス書じゃないかと言われたらそれまでですが・・・)
    個人的には似たような内容のビジネス書を5冊読むなら古典をじっくり1冊読んだほうが得るものは多いと思います。
  3. 物語を楽しみたい(小説等)
    一言で言えば読みたいものを読もうに尽きてしまうのですが、少しでも読みたいものに近いものにたどり着ける方法を考えてみました。

    まず中高のころ好きだった作家を思い返してみてください。教科書で読んで印象に残っている人とかでもいいです。いなければ名前を知っている作家でもいいと思います。

    そしたらその人の本を読む、もしくはその人と親交の深い作家の本を読むといいと思います。
    作家同士の交友関係を確かめる方法としては、Youtubeなどでインタビューがないかみてみる、ネット記事のインタビューを読む、本の後書きに登場する作家を確認するなどがあります。

    もちろん、親交があるからといってその作家もハマる保証はありませんが友達の友達は友達と同じロジックなので、それなりの確率で当たりを引くことができると思います。
    あとはベタですが本が好きな友達におすすめの作家を聞いてみましょう。少なくともその人の好みは知れますし、運が良ければあなたに合いそうな作家をお勧めしてもらえるかも知れません。

 

とまあザーッと書いてみましたがいかがでしょうか。なんとなく自分にハマりそうなやり方は見つかったでしょうか?

 

とにかく、一冊丸ごと頭から尻まで読んで全部理解して人に話せるところをゴールにするのを止めるだけでかなり気楽になると思います。

小説も、その時の自分のバイブスと合わなくて読めないだけで1年後には一気読みできるかも知れません。

 

ということで、一番大事なのは積読を躊躇わないことです。というか積むために本を買ったほうが良いとすら思います。

気になったらとにかく買って、家の本棚に入れておくのです。で、ふと目があったり思い返したりしたらペラペラページをめくってみます。すると読めたり読めなかったりするのです。

 

読み慣れてくると今の自分の精神状態、意識状態だとどの本がスルスル読めそうかなんとなくわかるようになるので、それまでは乱読すると良いと思います。

 

最後に、私が読んだ読書のための本を2冊紹介します。

 

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ペシミズムの申し子、ハウエルせんせー!

大学の時、かなりニヒリズム、ペシミズムに傾倒して何冊か読みました。

「ビジネス書みたいなの何冊も読まずむずいやつ頑張って読もうや」は完全にハウエル先生から感化された意見です。

 

 

「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書 | 西岡 壱誠 |本 | 通販 | Amazon

 

こちらは一冊目よりライトに読めます。確か読んだはいいけど全然内容が頭に定着していない感じがして読書法を模索していた時期に読みました。

結果としてあまりいうこと聞かずに自己流で読んでますが、わかりやすいテクニックが色々紹介されていて、いい助けになる一冊だと思います。

 

以上、なんなら普段よりも熱のこもった一本になりましたが、楽しんでいただけたでしょうか!

 

以下のアカウントで読書記録もつけているので興味ある方は見ていってください。

また、ざっくりでも読みたい本のイメージがあれば選書するの気になる方はDMください!

https://www.instagram.com/cheng_reading97/

 

では!

ヒップホップを因数分解する

こんにちは。

 

皆さん、ヒップホップ聴いてますか?

と尋ねると聴いている体で話を進めたいように聞こえますが、実は最近あまり聞かなくなりました。

で、なんで聞かなくなったのかを色々考えてみたので、そこに付随して考えた諸々をちょっとまとめてみたいと思います。

 

私がヒップホップあまり聞かなくなった理由にはそれなりの短期間に聴きすぎて飽きたというのもありますが、ヒップホップの「なんでもありさ」に疲れた、というのが大きいです。

 

この「なんでもありさ」を構成している因子が何かを、私が思いついて言語化できた限りで羅列していこうと思います。

 

①トラック

トラックとは、曲の歌以外の部分と考えて問題ないと思います。

ヒップホップのトラックが割となんでもありだという最も大きな理由としては、サンプリング文化が大きく関与していると思います。

 

ヘッズのみんなは解説不要と思いますが、サンプリングとは他の楽曲のトラックおよび歌詞を一部引用する手法で、特にヒップホップにおいて多用されます。

 

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サンプリングには他の楽曲の印象的なフレーズを丸ごと大胆に持ってくるような物もあれば、スネアやハイハット、ギターなどごくごく一部の音だけど持ってきたり、コーラスのピッチを変えてトラックの一部にするものもあり、ウォーリーを探せみたいに楽曲のあちらこちらに散りばめられています。ヘッズは引用元がわかるとえもいわれぬ恍惚感に浸ることができるとかできないとか…(ヘッズにとって、ルーツを深く知っていることは一種のステータスなのです)

 

これはれっきとした手法なので、ヘッズの皆さんにとっては当たり前になっていると思いますが、ヒップホップを聴き始めた頃の私にとってはかなり新鮮だったのを覚えています。

ともすれば盗作、著作権侵害と言われるような作業が公然と行われていてそれをみんなが喜んで味わっているのですからね。

 

②テーマ

次に、楽曲のテーマです。何について歌うのかということです。

これに対してもヒップホップはかなりの自由度があると思っていて、ヒップホップに馴染みのない人にとっては混乱するポイントでもあると思っています。

 

王道でわかりやすいもので言えば、自分がいかに金を持っているのか、女や仲間に囲まれているのかを歌うものは枚挙にいとまがないです。

 

また、薬物や犯罪、暴力、貧困、死など他の音楽ジャンルでは直接的に語られることの少ない闇の部分に焦点を当てた楽曲もかなり多く、ヒップホップの懐の深さを感じます。

 

そして何よりも大事なのは、テーマという枠組みから逸脱した楽曲も許容されるという点です。

何を歌ってもいい、何についても歌わなくてもいいということです。

 

ラッパーのJinmenusagiが「ヒップホップは歌詞の量が他のジャンルと比較してとても多いため、歌詞にアーティストの価値観が可視化されやすい」といった趣旨のコメントをしていて、とても的を得ていると思いました。

 

真面目に人生や愛を語ってもよし、くだらない馬鹿話に終始するのもよしというわけです。

 

③フロー

個人的には結構大事なポイントです。

めちゃくちゃ平べったくいうと、ラップする時のリズムの流れのことです。

 

同じトラックなのに、ラップする人によってフローが全く違くて印象がガラリと変わることが、この動画でわかると思います。

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人によってかなり差があって、歌詞の内容にフォーカスする人であれば割とはっきり言葉を発音して残しますが、言葉をビートの一部みたいに混ぜ込んで意味の枠から飛び出してるパターンも面白いです。

上の動画だとざっくり、Daichi Yamamotoとdodoが前者、釈迦坊主とTohjiが後者に分類できるかと思います。

 

個人的にはこの加減が絶妙な人が好きで、意味も深いし、フローも独創的な人がラップが上手い人だな、と感じます。

 

 

 

とまあ、ざっと分解してみましたがいかがでしょう?

同じヒップホップ好きでも人によって重視するポイントが全然違くて、本当に面白いです。

個人的にはフローに面白みがない人だとトラックがどんなにおしゃれでも刺さらないので多少③に重きをおいているかなと思いつつ、トラックも聞き覚えある感じだと最後まで聞く気にならないし、金!女!みたいな曲は英語でも詞が入ってくるようになった副作用として聴いていてしんどくなってきたので、結局全部大事ですね…

 

皆さんも自分がヒップホップ聴くとき何を重視しているか振り返ってみると面白いかもしれませんね!

俺の彼女/宇多田ヒカル

こんにちは。

 

今日は懐メロ紹介回です。

一時期ハマって狂ったように聴きまくっていた曲をまた何かの拍子に聴き始める、そんな時ってありますよね。それです。

 

日本が誇る歌姫、宇多田ヒカルパイセンが2016年にリリースしたアルバム「Fantome」に収録されている、「俺の彼女」です。

 

宇多田ヒカルは私が言うまでもなく名曲が沢山ありますが、個人的にはこのアルバムが一番お気に入りです。どっしりしたテーマの曲が多く、毎日ヘビロテで聞くかと言われると怪しいですが、ポップスの歌手として広く受け入れられている宇多田ヒカルがこれだけどっしり、ずっしりしたテーマを扱ってくれること自体に謎に喜びを感じます。

 

そんなアルバムの中でも結構異彩を放っているのが「俺の彼女」。

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歌詞を辿りながら私なりの解釈をつらつら綴っていきたいと思います!

 

俺の彼女はそこそこ美人 愛想もいい
気の利く子だと仲間内でも評判だし

俺の彼女は趣味や仕事に干渉してこない
帰りが遅くなっても聞かない 細かいこと

 

ナンジャコリャー!

いやーーーーな感じですよね。初っ端から。

曲が始まるや否や、前奏もそこそこに彼氏目線で自分の彼女に対するエグイ本音の吐露が始まります。

「そこそこ」美人とか、仲間内での評判を気にしている感じ、ごちゃごちゃうっせーこと言ってこなくて気楽なんだよなー、などかなりグサッとくるフレーズが凝縮されています。

 

とはいえ、実際付き合う相手に対して似たようなことを考えたり、望んだりしている男性も少なくない感じしますよね。リアルすぎて聞いててしんどい。

この悪い意味での冷静さからするに、付き合い始めてから最低でも1年くらいは経っている設定なのかな。

 

ちなみに、この曲に関して言うと一人称が俺なのと、彼女と読んでいるので、男性彼氏と女性彼女の前提で解釈しています。

宇多田ヒカルは自身がノンバイナリーであると公言していますし、実際歌詞世界の中でもジェンダーの解釈に幅がある曲も多いですが、この曲に関していえばわかりやすく「男と女」の世界を描いているように思います。

 

あなたの隣にいるのは
私だけれど私じゃない
女はつらいよ 面倒と思われたくない

 

早速ここで彼女の視点に切り替わります。

「私だけど私じゃない」・・・

彼の友達の前では「気の利く彼女」、彼の前では「寛容な彼女」と

意識的にか無意識的にか求められる彼女像を演じることで関係を保っているものの、本音を伝えられるような関係ではないことが伝わってきます。

 

俺の彼女は済んだ話を蒸し返したりしない
クールな俺は敢えて聞かない 余計なこと

 

再び男性目線に戻ります。済んだ話を蒸し返すみたいなのって男女あるあるなんですかねえ。

よく、男女で喧嘩すると、女性が過去の話まで持ち出して男性がうんざりする、みたいなの聞きますしね。

なんとなくですが、彼女側は昔は本音も伝えたりしたけど、伝わっていなかったり、彼の機嫌が悪くなるのが嫌で言うのをやめてしまったみたいな経緯がありそうな気がします。

 

そして彼氏は「余計なこと」を聞かないらしい。彼氏も彼氏で、なんとなーく話すことを避けている話題があるみたいですね。

そして極め付けはそれを「クール」だと思っているらしい。

みなさんいかがですか?私はだんだん腹が立ってきました。

臭いものには蓋をするのがかっこいいと思っているらしいですね。どーしょもねーやつだな!と喝を入れたくなります。

 

あなたの好みの強い女
演じるうちにタフになったけど
いつまで続くの? 狐と狸の化かし合い

 

お次は彼女の番。

やはり、元々は嫌なことや気になることがあったけど、それを話すと彼が嫌がるから少しずつ我慢をして「強い女」になったわけです。

でもそれが本心ではないことを自分でもわかっているし、こんなことを続けてまで関係を維持することに疲れている感じがしますよね。

 

本当に欲しいもの欲しがる勇気欲しい
最近思うのよ 抱き合う度に

カラダよりずっと奥に招きたい 招きたい
カラダよりもっと奥に触りたい 触りたい

 

心がさっぱり通っていないけど、体だけは重ねていて、

深いところでは不足感、渇望感を感じているのがわかります。

 

Je veux inviter quelqu'un a entrer
Quelqu'un a trouver ma verite
Je veux inviter quelqu'un a toucher
L'eternite, l'eternite

 

ここでフランス語入門編スタートです!

意味は知恵袋で適当に拾ってきました。

 

招きたい

私の真実を見つけてくれる人

触れられたい

永遠 永遠

 

ほとんど直前の日本語を繰り返しています。

表面的に仲良くやり過ごすのではなく、本音で深い部分で通じ合える繋がりを求めているのだと歌っています。

 

そして、曲も終盤ですが次のフレーズで大どんでん返しが発生します。

 

俺には夢が無い 望みは現状維持
いつしか飽きるだろう つまらない俺に

 

あれ!?!?「クール」な俺はどこいった???

突然ポロリと彼氏が弱音を吐きます。しかも結構唐突に重めなやつ。

さんざんかっこつけ倒して、3テンポくらい遅れて本音の吐露が始まる感じ、現実の男女の会話のテンポ感と非常に重なるものがあります。

ここまで計算していたのだとしたら、さすが宇多田ヒカルとしか言いようがない。

しかも多分これは計算済みのやつ。

 

夢がない、現状維持、つまらないなどこれでもかと言わんばかりの自嘲です。

彼女のことを「そこそこ」美人とか「趣味や仕事に干渉してこない」などと散々言っていたものの、本当はいつか捨てられるんじゃないかと不安で仕方ないようですね。

かっこつけて「大人」な関係を作り上げたつもりだったけど、深い関わりができないのは彼氏側の「本当の自分を知られたら幻滅されるんじゃないか」みたいな恐れから来ていたみたいですね。

 

 

と言うことで歌詞を一通りなぞってみましたが、いかがだったでしょうか?

とりあえず重い。そしてリアル。

 

世の中こんなカップル、多分たくさんいると思うので、心配な方は間違って流さないように気をつけてくださいね。

あと、カラオケで歌うと気まずい感じになる曲ランキング堂々の3年連続1位(私調べ)なので、早く帰りたい時はこれを歌うといいと思います。いい感じにみんなリアクションに困ってボルテージも下がって解散することになると思います。

 

この曲と似たようなテーマで、心を一番通わせられるはずのパートナーとの間の見えない壁について歌っている「Too Proud」もおすすめです。

個人的にはRemixバージョンの方がおすすめ!

こちらも見どころや紹介したいポイントがあまりにも多い一曲なので、いつか別でちゃんとまとめたいです。

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それでは!