すみえのいろいろ日記

本来自分の好きな音楽を語るブログとして開設しました。これからは占星術を中心により幅広いトピックについて色々と書いてみようと思います

東洋と西洋、根深いアンバランスさ

こんにちは。

 

前の記事で引き寄せの法則って結構筋通ってるんだよって話しようと思ってたのに気づいたらマインドフルネスを推す話になっていて、西洋と東洋の価値観の違いと、現代社会においてそれがどのようにアンバランスに価値づけされているかについて書かないとな、と思って、今そのまま書き始めています。

 

そもそも私も前記事でWikipediaを見るまで知らなかったんですが、引き寄せの法則キリスト教の異端の活動としてアメリカで始まったものなんですよね。なのでこれは明らかに西洋的な発想であると言っていいと思います。

 

一方マインドフルネスは、本来仏教の発想であるものがアメリカで”評価”されそれが日本に逆輸入される形で市民権を獲得しました。

Wikipedia先生曰く、

2000年代に入るとアメリカでは東洋の思想実践への興味が高まり、アメリ現代社会に欠けている「『今』への集中」が仏教の思想実践に見られると考えられ、マインドフルネス瞑想が改めて注目されるようになった[13]

 

ここに価値観のアンバランスさを見ることができると思います。

つまり、日本においてキリスト教は主要な宗教ではないにもかかわらず、キリスト教発祥の引き寄せの法則は比較的すんなりと日本のスピ界で受け入れられているにもかかわらず、日本土着の宗教の一つである仏教の概念は西洋の国で関心が高まり、評価されて初めて日本で広く受け入れられているのです。

 

これはそもそも現代社会において東洋的思想や価値観が西洋的なそれと比較して弱い立場に置かれていることを示します。

もちろんこれは引き寄せの法則とマインドフルネス以外にも、数えきれないほど例があります。

 

一番顕著なのは資本主義でしょう。あまりに当たり前すぎてみなさんもう何も考えていないと思いますが、そもそも資本主義の誕生とキリスト教には深い繋がりがあります。

実はなんだかんだ私も読んでないんですけど、少し賢ぶりたい大学生御用達のプロ倫に詳しく書いてあると思います。一言で言うとキリスト教、特にプロテスタンティズムの教えをたくみに利用した一部の資本家によって資本主義は作られたんだよ、と言う話です。

 

www.newlifeministries.jp

 

なので、雇用主のもとで働いている全ての人間はその時点で西洋的価値観を前提とした生活を送っていると言っていいと思います。

あと一週間が7日間で日曜日が休みなのもキリスト教的な価値観が元になってできた仕組みです。

そう考えると結構ゾッとしませんか?

日本生まれ日本育ちのいわゆる純ジャパで、特に信仰する宗教がなくて、雇用主のもとでの労働をしている場合、本人の意識的選択なしに自分の生まれ育った場所の土着の価値観ではないものに組み込まれて生活することになっているのです。

まあ別に西洋的価値観が悪いと言いたいわけではないのですが、とにかくアンバランスであること、それを認識していないことは危険だと言いたいのです。

 

さらに他の例を挙げてみると、医療や健康に対する価値観もかなり西洋的なものが世界の主流であると私は思います。

例えば日本では漢方を処方する中医学の国際資格は医師免許として認められておらず、中医学を専門的に勉強し大学院を卒業した人で合っても医療行為の実施は認められていません。

風邪を引いたり何か具合が悪いところがあればまずは病院に行って薬をもらって治すという人も多いでしょう。

人間の身体を機械のように捉え、病気は異常状態でありなんらかの原因が存在し、それを解決するための物質を投与したり、原因となっている体の一部を切除することで原因を除去することで正常状態に回復できると考えるのが西洋医学の基本的な発想だと思います。

しかし、東洋的な思想(中医学)においてはそもそも人の体にはいくつかのタイプがあり、人によって陥りやすい状態や特性、合う食べ物や合わない食べ物があるという考え方をします。この考え方の違いはかなり根本的すぎてなかなか意識するのが難しいのではないでしょうか。

 

改めて明言しておきたいのは、足が明らかに骨折しているのにどこぞの葉っぱを持ってきて足に巻け、と言っているのではありません。自分の容体を正確に把握し、西洋医療と東洋医療をバランス良く取り入れることが重要だといっているのです。

そもそも日本において東洋医療が西洋医療に比べて怪しいものと捉えられがちでそもそもアクセス可能な施設や保険適用有無などを見ても、ここにアンバランスさが存在することは明確ではないでしょうか。

 

ここまでで色々東洋的価値観と西洋的価値観の違いや、東洋の国である日本においてですら東洋的価値観が西洋的価値観に比較して劣っているものとして捉えられていること、それがあまりに当たり前すぎて日常に馴染みすぎているかを私なりに書いてみました。

 

では、そもそもこれはなぜ問題なのでしょうか。

 

まずはどんな状況においても根本的な不平等を無視してフェアな関係を築くことはできません。

西洋諸国と日本を始めとする東洋諸国が対等に国際外交の中で渡り合っていく上で、この辺りを認識していないと見落とすものがたくさんあるからです。

まあそもそも現在外交の公式の場として一番権威がある国連も西洋の戦勝国が中心となって設立したものなのでここにもさらに不平等があるのですが・・・

あと本気で辿っていったら日本に関しては江戸時代くらいに西洋諸国と関わり始めたくらいからの話なので、もうキリがないといったらキリがないのですが。キリがないからと言って無視していいとは思わないです。

 

また、東洋の国で生活する人間にとって、西洋的価値観は必ずしもベストであるとは限らないからです。

例えば西洋諸国に行けば東洋の文化や価値観は「奇妙で不可解なもの」として扱われるのは当たり前で、西洋諸国に住んでいる限りよっぽど極端な環境にいない限りは東洋の価値観を本気で理解する必要はほとんどないでしょう。彼らにとってそれはデフォルトの設定ではないのです。

 

でも、東洋の国で生まれた私たちは生まれた瞬間から自動的に西洋的価値観に晒され、それに適合することが成功の鍵であるかのように教えられます。そもそもなぜ私たちが英語を第一外国語として勉強することになっているのか、深く考えたことのある人だったらもしかしたらこの辺は当たり前のことかもしれません。

 

そもそも東洋的価値観と言っても仏教や道教儒教など様々な種類がありますが、これらの歴史は非常に長く、東洋諸国に住む私たちにとってはこれらの方が「当たり前」であると同時に理にかなっていると感じやすいと思います。

 

ここでも改めて、東洋においてキリスト教をはじめとする西洋で主流の宗教の影響がないわけではないですし、世界中のどの地域にいてもどんな宗教を信仰することも最終的にはその個人の自由だと思っていることを明記しておきます。ただ、世論を形成する価値観は土着の信仰や伝統に影響されることが自然なのに、歴史的な背景やテクノロジーの発展等により本来輸入品であったはずの西洋的価値観があたかも自分たちのものかのように感じており、そのことに気づいていない人があまりに多いことを指摘したいです。

 

じゃあどうすりゃいいんや、という問いに対しては私は残念ながら答えを持っていません。

私は全ての不平等やアンバランスさに気づき、その歪みが解消されるように行動したり人に伝えていこうと思っています。

 

まずはみなさんもいかに自分の生活や価値観が西洋的価値観に染まっているかを考えてみると面白いと思います。

また、そのバランスが取れた時、自分の生活にどのような変化があるか実験してみるのもいいでしょう。まずは自分の生活に取り入れて自分が実感することからがスタートです。

 

私はアンバランスさを解消する際には必ず今力を持っている側の反発を受けるので少し必要以上にその立場を優遇する必要があると考えています。

女性の立場を向上するために女性の席数を指定したり優遇措置を取るのも同じ発想ですよね。

 

 

ということで長々と書きましたが、面白がってくれたら嬉しいです。

今度はこれらがフェミニズムとどう繋がっているかもできたら書いてみたいと思います。

引き寄せの法則を分析してみた

こんにちは。

 

今日はみなさんどこかで聞いたことがあるであろう、「引き寄せの法則」について私なりにあれこれ分析した挙句、これは理にかなってるよねという話をしてみたいと思います。

 

まずそもそも引き寄せの法則とはなんでしょう?

みんな大好きWikipedia先生に聞いてみました。

 

引き寄せの法則(ひきよせのほうそく、Law of attraction)は、19世紀アメリカ合衆国で始まったキリスト教における一種の異端的宗教・霊性運動の潮流ニューソートにおける、ポジティブな思考が良い経験を、ネガティブな思考が悪い経験を、人生にもたらすという信念であり、科学という視点から見れば疑似科学である。

 

結構ネガティブな感じでかかれてますが、めげません。

あと、疑似科学と書いてありますが、そもそも科学的であるということは再現性があるということが不可欠ですが、私はそもそも科学的であることとそれが真理であることは必ずしも一致しないと思っています。

この世の中にはまだ科学で証明されていないだけで実際に存在するものはたくさんあると思うからです。

また、科学的であることと論理的であることも厳密にいうと異なると思います。

物事のを科学的に証明するために論理的説明は必要不可欠だと思いますが、まだ科学的に証明されていないことが論理的ではないとは限りません。単に科学的に証明されるための根拠や再現性が明らかになっていない、という保留の状態であると考えるべきだと思います。

・・・なんの話してるか伝わっていることを願っています。。。読んでる人の中の2人くらいはわかってくれたらいいけどなー。。。

 

てなわけで、前提条件の整理はこんな感じとして、引き寄せの法則がなんでほんとっぽいか私なりに色々書いてみます。別に誰かを説得したいわけでもないし、そうすることで何か自分にとくがあるわけでもないんですけど、みなさんの生活が少しでも面白くなる可能性があるかもしれないので。

 

まず引き寄せの法則は一部のスピ界隈にて量子力学を用いて説明されているのですが、これに対しては私は懐疑的です。ただ私も量子力学自体詳しいわけではないのでこれが間違っているとすら言えないです。ただネット上で量子力学を用いて引き寄せの法則を説明しているものをみているなかで、量子力学についてちゃんと知識がある人をみたことがないので、さすがに胡散臭すぎるなと思っています。科学中心主義の現代においてスピリチュアルの居場所を作るためにわざと科学性をこじつけようとして、論理性を失ってる感じかなと思います。

 

でも、引き寄せの法則自体はある程度論理性があると思います。人間の認知特性として思い込みというものはとても力強く、これを意識的にコントロールするだけでかなり「世界の感じ方」が変わるからです。

 

例えば「自分は何をやっても上手くいかない、負け犬だ」と心の中で思っている人がいるとします。この人が生活する中でなにかやりたいことをできるチャンスがあったとして、それを十分活かすことができるでしょうか。

まずそもそもうまくいかないという恐怖心が強すぎて、そもそもチャンスが存在することを認識できない可能性があります。

また、仮にチャンスをチャンスとして認識するだけのポジティブさはあったとしてもそのチャンスを拡大・繁栄させていくだけの持続力やモチベーションを保つことは難しいでしょう。うまくいかないと思い込んでいると少しでもネガティブな出来事や、自分の想定外の現象が起きた時にそれを回復する冷静さを保つことが難しく、自分でそのチャンスを壊してしまう可能性が高いからです。

またそもそもいつも不安なので、本当にそれが現実に起こっている問題でチャンスを脅かしているのか、ただのネガティブな可能性が自分の不安感によって拡大解釈されているか自分でも判断することが難しくなります。

 

ということで、まず引き寄せの法則がポジティブな方向で作用するかはさておき、ネガティブな方向に作用することはかなりありうることなのが伝わったでしょうか。

 

で、私はそもそもこのネガティブがなくなるだけでもかなりその人の人生は良くなると思います。自分が考えても仕方ないことや起きていないことに頭を悩ませて不安になり疲れ果てて、本当に意味のある行動を自分のために取れない、という状況を回避できるからです。私が周りの人と話したりみていると、そもそもここで戦っている人がたくさんいるなと感じます。普通に生きていたら否定されたり競争にさらされたりジャッジされるのが当たり前の世の中なので、ここからが本当の始まりなのに、そもそもここに辿り着くまでにマイナスを背負わされているのがデフォルトなんですよね。みんな。

 

なので大抵の人にとっては引き寄せの法則がポジティブに働くか(宝くじに当たる、有名人に会える)などは実は大した問題ではなくて、自分の日常においていかに不安を払拭しマインドフルな状態を保てるかの方がはるかに重要だというのが関の山だと私は考えています。

 

また、引き寄せの法則の欠点も書いてみたいと思います。

 

Wikipedia先生曰く

倫理的な問題点も指摘されており、引き寄せの法則に従うなら、悪いことが起こるのは悪いことを考えるからだと「被害者非難」をすることになる、という批判もある[3]宗教学者ダグラス・E・コーワン英語版は、「もしあなたがこの理屈を信じるなら、誘拐された人やレイプされた人に何を言うことになるか、考えてみてください」と述べている[3]

 

とのことです。

これは確かにそうですね。全ての法則に例外があるように、もちろん引き寄せの法則も適応していけない場面やケースもたくさんあると思います。

 

もし上記のような非常にトラウマティックな経験をしていて、それを引き寄せの法則のせいで起きたとか、逆に引き寄せの法則に従ってポジティブになれば人生うまくいくと考えているのであれば危険です。精神科やセラピーなど、専門知識を持った人のサポートを受ける必要があります。

 

そもそも、それだけ大きな出来事であればまずそもそもそういった出来事をプロセスする過程が必要になるので、ポジティブになれない日があるのも当たり前です。むしろそれを過度にポジティブに意味付けしようとしているのであれば自分の痛みを受け止めきれていないことになるので、本当の意味での癒しや前進からはむしろ遠ざかると思います。

 

前述したように、いまほとんどの人はデフォルトの思考回路がネガティブに陥りやすい社会状況にさらされているので、ネガティブをニュートラルに戻すためのブースターとして引き寄せの法則は活用可能だと思います。

ただしその前段階には自分の今までの人生を振り返り、起こった出来事を客観的に振り返り意味づけをし直して自分の中で折り合いをつけていく作業が必要になります。

これは停滞や後退を意味するように感じる人もいると思いますが、ここを怠らず自分と自分の過去に徹底的に向き合い、折り合いがついていくごとにクエストがアンロックされるようにして少しずつ自分が現実に対して前向きに、自己効力感をもって向き合うことができるようになっていきます。

 

なので、結論としては私は引き寄せの法則を使いこなすためには、まずマインドフルネスを身につけることが先決であると思います。

マインドフルネスは最近かなり有名になった概念ですが、Wikipedia先生によると、

「今この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに捕らわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある[6]。 しかし、とりわけ新しい考え方ではなく、東洋では瞑想の形態での実践が3000年あり、仏教的な瞑想に由来する。

 

とのことです。

物事をただあるがままに観るということですね。

これは言葉で言うほど簡単なことではありません。

私も毎日毎日修行の日々です。

でも、いろんな考え方を試した結果これが一番自分にあうと感じていますし、東アジアで生まれ育った人にとっては仏教的価値観はかなり無意識レベルに染み付いているので馴染みやすいのではないかと思います。

 

正直マインドフルネスというカタカナ言葉で西洋から逆輸入されて初めて日本でもビジネス書とかになって囃し立てられるようになりましたが、そもそも仏教の考えが元でそれが西洋で評価されただけなんですよね。この辺の西洋と東洋の価値観の違いやそれがいかに当たり前になっているかも別でまとめたいと思います。

 

とりあえず話は逸れましたが私の結論としては、引き寄せの法則はある程度妥当性があってネガティブループにおいちいっている人間がニュートラルに戻るためには有効だけどそもそもマインドフルネスの方が東アジア人には合ってるかもね、ということでした。

 

なんかこんな話するつもりでもなかったんですが、私の東洋レペゼンマインドが強くですぎました。そういう意味じゃ私もまだニュートラルじゃないんですけど、私が東洋マインドを少しずつ広めていくことで世界全体がニュートラルになることを実は目指しています。(伝わる?てか危険なやつと思われそう、新興宗教とかではないです)

 

ということで、怪しまれないうちに、東洋と西洋の価値観の違いとそのアンバランスさについてまとめたいと思います。

 

 

では!!!

Notion活用のすすめ

こんにちは。

 

今日は私が少し前に使い始めてめちゃくちゃ愛用しているメモアプリ、Notionを紹介したいと思います。

 

みなさん普段調べ物したりとかなんかちょこっとメモしたりしたとき、どこにメモしてますか?

紙のメモ、Google keep、iphoneのデフォルトメモアプリなど色々サービスはあると思うのですが、どこをどうとってもNotionの使い心地が最高すぎるのでぜひみなさんにおすすめしたいです。

 

Notionのありがたみは、そもそも普段からどのくらいメモしたりまとめたりする習慣があるかによってだいぶ個人差があるかもしれないのですが、私の場合何がどう良かったか紹介していきますね。

 

私はそもそもめっちゃくちゃメモを取りまくる人で、買い物リストややりたいこと、お金の管理や人に話せないけどパッと吐き出したい言葉、人から聞いた面白い話や有益な情報、今すぐ形にはなりそうにもないけどゆっくり考えたり時間をあけたら何か発展しそうなアイディア、見た夢の内容など本当にありとあらゆる内容を書き留める習慣があります。

 

で、もともとGoogle keepとGoogle docsを使っていたんですがそれぞれ弱点がありました。

Google keepは買い物リストみたいなすぐに必要なくなる簡単なメモには向いているのですが、情報をまとめて置いておくには機能が不十分でした。

具体的にはフォルダごとに分類したりインデントをつける機能があまり充実していなかったり、画像を挿入すると全部メモの上部にまとめて表示されたりとある程度まとまりのあるドキュメンティングをしようと思うと限界があります。

Google docは上記のgoogle keepの弱点は克服されているものの、テンプレートはあまりなく、表をつかってまとめたりしたい場合はスプレッドシートを使用する必要があり、アプリ間を往復する必要があります。

 

というわけでこの辺を全部網羅してくれるメモアプリ(願わくば無料)ないのー!!と思い調べたらNotionが出てきて、使い始めたところ、上記の問題を一掃してくれました。

 

まず、自分の好きなジャンルごとにドキュメントを分類することができます。さらにそのドキュメントの中にさらにドキュメントを入れるという構造化も可能なので情報をスッキリまとめることができます。

 

またドキュメント内では文字サイズや色の変更はもちろん、画像や表の挿入やリンクの埋め込みなどドキュメンティングでやりたいことは大抵できます。

 

あと、テンプレートも非常に充実しているのもとても良いです。

 

To-Doリストのテンプレート

 

読書リストのテンプレート(愛用中)

 

 

とこんな感じでとにかくめちゃくちゃ機能が充実しています。

流石にパーソナルすぎて中身は写せないのですが、調べ物をまとめたり、ToDoリスト作ったり、買い物リスト作ったり、レシピをメモったり本当に生活のありとあらゆることを全部ここにまとめています。

で、これが無料というのがやばい。すごい時代になりましたね。

 

一応有料プランもあるんですが、個人で使用する分には課金する必要性はあまり感じないと思います。(今後使ってて不自由が出てきたら加筆しますが3ヶ月くらい使って今のところ何も不満がないです。)

 

あえて弱点を挙げるとしたら機能が多すぎて使い始めの時はちょっとおろおろするかもくらいですかね。でもそういう人は多分普段からそこまでドキュメンティングをしない人だと思うのでそもそもデフォルトアプリで困らないかなと思います。

 

ちなみに今のメモ習慣の有無に関わらず、これらに当てはまるな、と思うそこのあなたにはこれからメモを取るようにすることをお勧めします。メモの魔力とかいう本もあるくらいだし多分メモとってマイナスなことはない。本読んでないから知らんけど。

・調べ物をして気づいたらブラウザタブが5個以上開いていることが常である

・色々調べたり読んだり見たりするのは好きだけど後から思い返すと何も覚えてない

 

私がNotionを使い始めて一番良かったのは、今までは100のインプットに対して頭の中に残る情報が20くらいだったのが、多分60くらいまで増えたことです。というか単純に頭の中だけじゃストックしきれない情報を前よりスムーズにNotionに貯めておくことができるようになったのだと思います。

 

例えば私は星占いが好きで結構な時間星占いに関する情報に触れているのですが、今まではちゃんとメモを取ったりはせずただ動画を聞き流したり、調べ物してその場でふーんと思って終わりだったりしていたのです。

これでももちろん少しずつ頭には蓄積されていくんですが、私は好きなものや調べたいもの、考えたいことがめちゃくちゃたくさんあってそんなふうにするりと情報を1回なぞったくらいじゃ全然定着しないのでせっかく時間を使っているのになんか勿体無い気がしていたのです。

それがNotionを使い始めてから気になることを調べたらその場でメモを取ってまとめるようになったので、あとで同じようなことが気になったらもう一度調べる必要がないし、そもそもまとめるというプロセスのおかげで頭の中に蓄積される情報量も増えたと思います。

 

あとは、タブめちゃくちゃ開いてる民って、基本頭の中があっちこっちいったりきたりして一つのテーマを考えているうちに他のこと考えたりやり始めて結局何にも進んでない、みたいな事態に陥りがちだと思います。

 

でも、Notionでまとめるようになると、その現象自体はなくならないものの、テーマAからテーマB、Cに脱線して、今日はもう疲れたからおやすみってなって別の日にテーマAやるぞってなったときにえーっと何からやったらいいんだっけとオロオロする時間が削減できるのです。脱線すること自体は頭の特性なので仕方ないとして、脱線後に戻るための印を残しておくことができるのです。

いろんなことに興味があって色々知っているし考えているはずなのになんか何も手についてない感じがするという漠然としたしかし確実に存在する問題に長らく悩まされていたのですが、Notionをみると目で見える形で自分がやっていることがわかるのでたとえ趣味であっても「好きなのになにもわからん」みたいな気持ちにならなくて済むようになりました。(そもそもみんな趣味にこんな生産性求めてないと思うけど)

 

人によっては紙に書いたほうが頭が整理されるとか、いや私は頭の中にとっておきたいんだ、とか人と話すことで整理される、とか色々人によって向き不向きあると思うんですが個人的にはノートまとめたりするの好きなタチだしNotionがめちゃくちゃ性に合ってました。

 

みなさんも自分に合ったメモ/思考整理ツールをみつけてみるとQOL向上すると思うのでぜひ検討してみてください!

https://www.notion.so/ja-jp/teams?utm_source=google&utm_campaign=14877655427&utm_medium=125922091617&utm_content=660147620151&utm_term=notion&targetid=kwd-312974742&gad_source=1&gclid=CjwKCAjw7c2pBhAZEiwA88pOF6RP-3ubtWDwAHqxzbdmmvq7UKLfA_fOJmxT0DsuS2uuDvjVXg7CCRoCA0QQAvD_BwE

 

では!

星占いを知るとこんないいことがあるよ

こんにちは。

 

今日も今日とて星占いの話です。

 

前回の記事でも少し書いたように、星占い(西洋占星術)はテレビや雑誌で紹介されているレベルの情報に触れているだけだと気づけない素敵な魅力がたくさんあります。

 

今回は私が思う、星占いを勉強することで得られる素敵ポイントを主観ゴリゴリでご紹介します。

 

1点目は自己理解が進むことです。

星占いをする際はホロスコープといって特定の時刻場所における天体の配置を示す図を用います。

その人の生まれた場所、時間における天体の配置をバースチャートと呼びその人の基本性質を表し、これは当たり前のことながらあなたが生まれた瞬間に決まり、死ぬまでずっと変わりません。

 

自己分析・自己理解のツールは星占い意外にも様々ありますが、自分のバースチャートを少し読めるようになるだけでも自己理解がアップデートされて面白いと思います。

 

2点目は他者理解、他者との関係に関する解像度があがることです。

ほかの人のバースチャートを読むことで、その人がどんな基本性質を持っているのか理解できます。また、自分のバースチャートとその人のバースチャートを重ね合わせた相性図(シナストリ)を読むことで、自分とその人がお互いにどんな影響を与え合う存在なのか理解することができます。

 

そんなの現実で相手と関わる中で知っていけばいいじゃないの?と思うと思うのですが、そもそも他者との関わり方、コミュニケーションの取り方自体が人によって違いますし、行動パターン、価値観も様々です。

しかもそれは必ずしも本人が自覚的であるとは限らないのです。

 

つまり、なんかわかんないけど、うまくいかないとか話が噛み合わないとか、話してるとイライラするとか、逆になぜかわからないけどものすごく惹かれてしまう、普段自分が仲良くなるタイプの人じゃないのになぜか馬が合う気がする、などぼんやり感じていたものに説明がつくと思っていただければ良いと思います。

 

3点目は2点目から派生した内容になるのですが、他者に対する許容度があがることです。

先ほどもお話ししたようにバースチャートはその人が生まれた瞬間に決まり、死ぬまで変わりません。

これはもちろん人間が生まれてから死ぬまで確固たる変化しないパーソナリティでいるという意味ではありませんが、逆に言えば周囲の環境や年齢など様々な変化があっても変わらないその人らしさが誰にでもあるということです。

 

これがわかると自分と全く性格や価値観が異なる人間がいてもその人のバースチャートをみることで、なるほどね、これは確かにそういう風になるよなと納得することができてモヤモヤが減ります。

人間、自分と異なる存在に対してはなんらかの自分が納得できる形での説明をつけないと受け入れることが難しいと私は思っています。

その説明の形のひとつとして星占いは有効ではないのかな、と私は思います。

 

4点目はミクロとマクロの視点を行き来する力が鍛えられることです。

これは星占い意外にもいろいろ鍛えられるものはあるのですが、星占いでそれができるというイメージはあまり一般的ではなさそうだったので書いてみました。

星読みの際に用いるホロスコープには最低でも基本の10天体とアングルと呼ばれる軸(すいません説明端折ります)をみて占います。

 

一番最初に星占いを勉強しようと思うと、まず12星座それぞれの性質、各星座のエレメント(地・水・風・火)、クオリティ(固定宮・柔軟宮・活動宮)などを頭に入れ、その次にホロスコープ全体を12分割するハウスシステム、天体同士の角度がもつ意味(アスペクト)など勉強することになると思います。(個人差あり)

 

この辺が「なんかわからないがそういうもんらしい」くらいの感じでなんとなく丸暗記できるとなんとなくそれっぽい読みができるようになります。

で、今上に書いた流れで勉強していく上で、丸暗記だけで誰のホロスコープも見ないということは多分ありえなくて(理屈的には可能ですが)、今自分が知っていることをもとにホロスコープを読むことになると思います。

で、読んでみると、なんかここはどう解釈したらいいかわからないなーとか、丸暗記でインプットしたことそのままに解釈してたけどなんか自分で言ってることよくわからん、とかなって、ホロスコープから離れて一個一個勉強する感じになるんですね。

 

こういう教科書的なインプットによる深い理解と実際の星読みの経験、実世界での体感のループを繰り返していくことで徐々により深く、同時に直感的に読めるようになります。

 

占い師がぱっとホロスコープをみてあなたは○○ですねーとか言ってるのは、経験が豊富で目の付け所がわかっているから直感でやってるようにみえるか、適当なこといっているかのどちらかです。

どちらかどうかはあなたがある程度星読みの知識があればすぐわかります。

あと知識がなくてもわかる見分け方として、あなたの配置について極端にネガティブなコメントだけしてアドバイスなどは何もない、人格を否定するような発言をする、寿命や死期に関して言及するなどは明らかにアウトです。友達でもそんな人と話したくないと思うのでお金払ってまでしてそのような相手の話を聞く必要はないと思います。

相性もあるので必ずしもいい悪いで判断はできませんが、ご参考までに!

 

5点目は長期視点で人生を考えられることです。

これこそ星占いに限った話ではないのですが、星占いでも鍛えられるよ、という感じです。

やりたいことも明確でスキルもあるのになぜかどうしても仕事がみつからない、何回も何回もアタックしてるのに好きな人に振り向いてもらえない、とにかくよくわからないけど人生いろいろ全部うまくいかない、みたいなことあるじゃないですか。

 

で、そういうときにもちろんどうしたらこの状況を改善できるか考えて打てる手を打っていくことは非常に大事です。でもそれでもうまくいかないときもあると思うんです。

で、それは大抵自分のコントロール外の要因があると考えて良いと思って、身もふたもない話ですが要は今はタイミングではない、ということです。

 

で、これがなんで星占いと関係するのかというと、星占いにおいては、トランジットと言って今現在の天体の配置も読解の対象になっています。

で、この現在の星の配置とあなたのバースチャートの重ね合わせでいろいろあなたに影響がでてくるのです。

それは、コミュニケーションの誤解が発生しやすくなる、ついうっかり忘れ物しやすくなるとかの小さいことから、今まで安定していた生活の基盤(人間関係、仕事、住居)がなんらかの外的要因で急に変化せざるをえなくなるなど大きなことまで様々です。

 

で、バースチャートは一生変わらないし、天体の配置についても今現在のもののみでなく計算で先の配置までわかっているので実はある程度の未来予測が可能になるんです。

 

これはあなたはいつ結婚します、とかいつ転職しますとかそういうことがあらかじめ決まっているという意味ではなく、そういう流れになりやすい、と言ったレベルです。結局本人が行動しないと現実は変化しないので。

 

こういう仕組みをわかっていると、無理にうまくいかないことにエネルギーを注いでへとへとになったり、うまくいかないことが全部自分のせいだ、みたいに考えることがナンセンスに感じられてくるのではないかと思います。

 

私は星占いは天気予報のデラックスバージョンだといつも思っています。

例えば大雨でもやろうと思えばキャンプに行けるし吹雪でもまあ行こうと思えばスキーに行けますよね。

でも、必要以上のリスクを背負うことになりますし、実際やったところで楽しむどころか茨の道だと思うのです。

事前に大雨や台風が来ることがわかっているので、私たちはそれに向けて備えたり、予定を調整することでより快適に暮らすことができるわけですよね。

これと同じことが、個人のバースチャートとトランジットの関係の中では、もっと長期的かつ意識しないとわかりにくいレベルで起きていると私は考えています。

 

苦労や努力は完全に人生から排除するべきだとは思いませんが、なるべく選択的に、自分の望む将来につながる形で、かつ必要十分な範囲でするのがよいと思っています。

 

星読みを知ることで、人生の様々な側面において新しい角度からアプローチができるようになりますし、より豊かで多面的な解釈が可能になると思います。

 

最後、6点目です。

これは一生物の道楽であるということです。

これは私がなんか趣味にハマるといつも思っているので、本来趣味ってどれも一生ものなのかもしれませんが、占星術においてそれがどういう意味を指しているか書きます。

 

まず、読む材料が無限にあるからいつまでたってもやり続けることができるという点です。人の数だけバースチャートがありますし、人の組み合わせの数だけシナストリがありますし、一瞬としておなじトランジットは存在しないです。なのでとにかくやり放題なのです。あと生年月日と出生地、出生時間があれば読めるので、人間以外でも読めます。ペットとか架空のキャラクターを読んでる人もいます。ね!おもしろそうでしょ?

 

あとは占星術にハマると自動的に他の占いにも興味が出ていろいろやりはじめるので掛け算でできることが増えてもっと楽しくなります。占いは基本的に三種類に分類されていて、占い師になるにあたってはその三種類を一通り身につけていることが理想とされています。細かいことは端折りますが、とにかく占星術以外の占いも知って面白さ倍増する特典があるよ、ということです。

 

それから各占いにはそれぞれのルーツがあるので、そこまで知っていくともう無限大ですよね。西洋占星術で言えば紀元前から遡り、人類の文明の変化とともに立ち位置や扱いを変えられながら現代まで受け継がれてきているわけです。自分が星を読むという以外にも、占星術自体の歴史を知っていく、という角度でのアプローチも可能なわけです。これで面白さが50万倍になったと思います。

 

 

長々と書いてみましたが、いかがだったでしょうか。

思いつきでなんとなく書き出したら結構な長文になって自分でも驚いています。

 

こんな熱弁しておきながら私もまだまだひよっこですので、どんどん愛を深めていきたいと思います。このままいくと熱量を共有できる人が見つからないままどんどん熱量があがっていきそうです。だれかー!!!

引き続きよくわからんけど気になる人には勝手に解説するのでなんか気になることあったらDMください。

 

では!

 

 

 

 

 

 

星占いが当たらないと感じるあなたへ

こんにちは。

 

前回に引き続き、私の満たされない西洋占星術トーク欲を満たすためだけの記事を書きたいと思います。

実はちょっと星読み気になってるけどなんかよくわかんない人が一人でふむふむ言って楽しんでくれたら何よりです。

 

今日は占い(西洋占星術)について特に勉強したことがない方で、〇〇座はこんな性格!みたいなのに全然共感できない人に向けて、なんでそんなことが起きるのか説明しようと思います。

占いはこの世の不思議、辻褄の合わなさを楽しむことへの素敵な扉になると思うので、ぜひ占いとかどーでもいいという方にこそ読んでみてほしいです。

(占いがなぜそのような役割を持っているのかについてもまた後日書きます)

 

まず最初にここで占い、と書いているのは西洋占星術を指します。

占いと一口に言っても、四柱推命、タロット占い、手相、血液型占い、インド占星術などさまざまな種類がありますが、今回お話しするのは、一般的に朝のテレビで〇〇座のあなた!とかやっている西洋占星術というジャンルについてです。

 

まずひとことで結論を言ってしまうとテレビや雑誌で紹介されている今日の運勢・今週の運勢といったレベルの占いは、本来、より細かく読み解くことのできる内容をめちゃくちゃ簡単にざっくりまとめていて、あまりに一般化されすぎているので、当てはまらないと感じる人の数が一定数発生するのは仕方がないのです。

(ちなみにラッキーフードやラッキーカラーなども星読みの結果から若干こじつけて書いていることがほとんどなので、あの部分は気休めであって、本来の西洋占星術の守備範囲ではありません。)

 

もう少し詳しく説明します。

皆さんが自分は〇〇座と認識している星座は「太陽星座」と呼ばれるもので、皆さんが生まれた時に太陽が位置している場所にあった星座を指します。

ただし、西洋占星術の世界では太陽星座のみではなく、地球をのぞく太陽系のその他8天体と月を合わせた合計10天体の総合的な配置からその人の基本素質を理解します。

(もっと厳密に言えば出生時の地平線上に位置していた星座などや、その他小惑星なども加味します)

 

これだけでも太陽星座だけをみて自分の運勢を判断することの難しさがなんとなく伝わるのではないかと思います。

 

また、太陽星座以外の天体に偏りがあったり、他に特徴的な配置がある場合、自己認識、周囲からの認識を含め、太陽星座のイメージとズレが出やすくなります。

自分がいい例なのでちょこっと自分語りさせてください。

私は太陽星座が射手座なのですが、水星・金星・火星・海王星山羊座で、数で言ったら圧倒的に山羊座の天体が一番多いです。(実際数以外にもいろいろ加味しなければいけない要素はあるのですが今回は割愛します)

 

一般的な射手座の人に当てはめられるイメージは

自由人、空想好き、お調子者、パーティー好き、旅行好き

みたいな感じなのですが対する山羊座

真面目、勤勉、合理性、権威主義、社会的成功

みたいな感じで全然毛色が違いますし、どちらかというと山羊座のイメージを他者からもたれることも多く、自己認識としても結構山羊座的な部分は強かったです。(鶏が先か卵が先かみたいな話ですが)

まあ厳密にいうと上記のそれぞれの星座に関するイメージも結構単純化されてて誤解招くなあと思うところはあるんですが、書ききれないので泣く泣く割愛します。

 

とにかく、太陽星座がある星座だったとしても、そのほかの天体のバランスによって太陽星座の印象より強くほかの星座の特徴が出る、というのは結構あるあるのパターンです。

 

 

また、太陽星座は必ずしも本人が理解している自分の性格とは一致しない可能性があるのです。

先ほど説明した基本10天体は人間の一生になぞらえて年齢域が設定されており、該当する年齢域に差し掛かると、その星座の性格が色濃くでたり、その星座の象徴するテーマに自然と自分の興味関心が傾く傾向にあるのです。

 

太陽の年齢域は25-35歳とされているため、それ以前の年齢域の人にとってはあまりピンとこない可能性があるのです。

 

また、年齢域ごとに該当する天体の星座を自分の素質として理解し、意識的に扱えるようになることで自然と次の年齢域の天体についても取り組むことができるようになるのですが、太陽の年齢域以前の天体(月・水星・金星)の扱いにおいて成長が不十分なところがあると太陽の年齢域に突入しても、太陽星座らしい振る舞いが自然とできるわけではなかったりします。

 

つまり太陽星座のもつ資質は勝手に自然と身に付くものではなく、生まれてから25-35歳までに積み重ねてきたものによって獲得・発揮されるものなのです。

これはそれまでの年齢域で自分の取り組むべき課題をサボってきた、みたいな話というよりは、太陽星座は意識的に取り組むことで実現される自己を象徴しているのであって、素の自分、ありのままの自分を表すわけではないということです。

25-35歳というのは、もちろん時代背景や文化によって差はあれど、基本的には自分とは何者であるかを社会や他者を通じて理解し、人生を自力で構築していこうとするタイミングであると考えて良いのではないでしょうか。そう考えると結構理にかなってる気がしてきませんか?(はよみんな星読み好きになれ)

 

で、ちなみにおまけでじゃあ自分がしっくりくる天体ってなんなのさ!という質問にお答えしてみます。

一番メジャーなのは月星座だと思います。月の年齢域は0-7歳で、自分がリラックスしている時に出てくる素質、素の自分、無意識の自分を表すと言われています。

物心つく前から形成されている素質なので自分の一番根源的な性質としてすんなり理解しやすいのでは?と思います。

で、また厄介ポイントなのですが、月星座を知るには自分の出生地、出生時間を知っている必要があります。(基本、性格な星読みをしたければ都道府県レベルの出生地、分単位んの出生時間の情報が必要です。)

月は公転周期が短いため、出生時間が変わるだけで、星座が変わってしまう恐れがあるのです。これが相性占いとか時間分からない人のを読む時になかなかしんどい!わからないなりに天秤っぽいな、いや蠍かなとか考えるのもまた一興なのですが(聞いてない)

 

ちゅーことで興味のある方はお母さんに生まれた時間聞くか、母子手帳を確認してみると面白いかもしれません。

 

とまあいろいろ書いてみましたがいかがだったでしょうか。

星読み分からない人向けに結構まとめて書いてみたつもりなんですが、なるほどとかなってくれてたら嬉しいです。これを機にへーおもろそーと思ってくれたらもっと嬉しいです。早くパッションを共有できる友達が欲しいので、結構煙たがられてるんですけど会う人会う人に星読み好きアピールは欠かさずしていきたいと思いますし、小馬鹿にされようがネタにされようが愛を語っていきたいと思います。あと読む練習もしたいんでモニター価格で個人鑑定もやるので気になる方DMください。

 

さらにウザい感じになりそうと思いつつ、星読みが脳トレとして優秀という話も今度したいです。早くMCキロンリリス合の解釈とか品位の話とかできる友達が欲しいです・・・

これ何言ってるのかわかる人いたらETしたいのでDMください!!

 

根気強く星読み愛を広めていこうと思います。

 

ではでは!

 

 

 

 

魚座ってなんやろな

こんにちは。

 

今日は魚座について書いてみます。

 

西洋占星術において、魚座は12星座最後の星座です。

12星座は牡羊座から魚座までの順番で人間の一生の過程を示しており、水瓶座魚座の最後の2星座は現実社会から乖離しいわゆるあの世に向かっていく段階を示しています。

また、魚座は水のエレメントかつ柔軟宮のため、一般的に「優しい、慈悲深い、寛容」などのイメージで語られることが多いです。

 

今日はこれらの魚座に対して一般的に言われていることについてもう少し細かくみていき、私なりに理解しているニュアンスをなるべく言語化してみようと思います。

ちなみに私のチャートの中に魚座の月があります。

月は太陽と並んで個人の性質に大きな影響を与えると言われている天体ですので

魚座持ちの考える魚座、というバイアスがあることを前提に聞いてください。

また、今回書く内容はミカミ・ポーラ先生(私の推し占星術師)の考え方の影響を多分に受けています。おもろいと思ったらポーラ先生のツイッターyoutubeをみると占星術に対する考え方が完全に変わると思うので是非みてみてください。

 

占星術の基礎知識についてだいぶざっくりした説明になっていますが、ネットに色々情報は転がっているのでみてみてください。(怠惰)

 

まず、優しいという言葉はあまりにもざっくりしすぎていますよね。

魚座のもつ優しさは能動的ではありません。

水のエレメントは他人の感情を自分ごとのように感じる性質をもっており、それは意図的意識的に行なっている行為ではなく、むしろ自分のものではない感情が外から勝手に自分の中に入ってきて、もはや自分のもののように錯覚する感覚に近いと思います。

 

なので、水エレメントが強い人に感情的なことを共有した場合、「この人は自分のことわかってくれる」と感じるかもしれませんが、水エレメントが強い人がその共感状態をもとに相手に対して感情的ケアを与えるかどうかは全く別の問題になります。

 

また水エレメント(蟹座、蠍座魚座)の中で魚座はもっとも現実社会の感覚から乖離しているので、素の状態では実利的なメリットを考えたり具体的なアクションを考える能力は高くありません。

 

また慈悲深さについてです。

これはシンプルに損得勘定がデフォルトで備わっていないことに起因すると思います。

相手に好かれたいから、そうすれば自分の目的達成にとって有利に働くからなどの動機なしに相手によくしたり相手のわがままを受け入れたりするのを慈悲深いと呼ぶのであれば、魚座は慈悲深いのかもしれません。

 

そして、寛容さです。

これも寛容であるとはなんぞやということを考えないといけないのですが、一つ言えるのはジャッジするという感覚が弱いということでしょうか。

他の星座であれば、それはちょっとなあと倫理観なりモラルなりその人の価値観とぶつかるものがあると多少なりとも抵抗感を感じたりそれを示すと思うのですが、魚座の場合は「ふーん、そういうこともあるのね」という態度をとることができます(?)

そこにあるものをそのまま置いとく力が強い、とでもいいましょうか。

これも優しさと同じく、能動的に相手や物事を受け入れようと葛藤した挙句にたどり着いたものではなく、デフォルトの設定でそうなっているだけなのです。

だからよく考えたらそれってやっぱりダメでしょうとしか考えられないようなできごとや客観的にみたら許すべきではない事に対してもご都合主義、日和見主義的な姿勢をとってしまうことも大いにあるわけです。

(よく、魚座が何の気なしに自分の経験を人に話すと、周りの人の方がそれはダメだよ!とかやめときなよ!とか怒ったりさとしたりするけど本人はピンときてないみたいな話があります)

 

どうでしょうか。

 

私自身の経験や感覚と身近な魚座もちの傾向を織り交ぜて考えるとこんな感じかなと思います。

 

自他の境界線がほとんど溶けてしまっていて、自分と他者、自分と世界、自分とあの世の境界線が限りなく薄いため自己主張もあまり強くなく、よく言えば不思議ちゃんで掴みどころがない、悪く言えばポンコツもしくは変人の魚座

 

なんかそんなつもりではなかったのに悪口ばっかみたいなってしまいましたw

魚座のみなさん嫌な気持ちにさせてたらごめんなさい。合ってるわと思ったら教えてくださいw

 

ここまで書いた魚座の性質をもとに改めて魚座の性質を考えてみましょう。

そもそも優しさ、慈悲深さ、寛容とかは魚座以外の人から見た魚座の姿なだけです。

魚座形而上学やスピリチュアル、宗教、創作、フィクションなど一言で言えばこの世の中で実利的と思われていない全てのものと親和性が高いです。

多分適職診断でアーティスト、音楽家、哲学家とかいわれるタイプとかんがえればよいです。

 

魚座はなんかの手違いでこの地球に生まれてきただけなので社会に適合するようにカスタマイズされていませんw

そのため幸か不幸か概念的なことや抽象的なことに思いをめぐらしたりするのが得意です。

世の中にはそういうことを考える人も必要だとは思いつつ、大多数から見ればただのぼんやりした人に見えると思います。魚座のみんな、強く生きようね。

 

ということで、ごちゃごちゃ書いてみました。

そもそも占い興味ない人からしたら魚座に対するステレオタイプもよくわからんしなんの話だよ、って感じだと思いますが。

ちなみに補足すると私魚座なんだけど全然当てはまらないわ、ということも全然あると思います。

それはみなさんの他の天体の星座やそれぞれの角度などの組み合わせによるので、魚座はみんなこうという話ではないです。

そして、じゃああたしはどうなのよ!という方はホロスコープみるのでインスタとかで連絡ください。

15分500円くらいで鑑定したいと思います。

 

あとは読んでる中で占い好きな人いたら連絡ください(泣)

占星術地味に勉強始めてから2年くらい経ってるのに語れる友達いないので、お互いのホロスコープみてあれこれいったり星座ごとに関する傾向とか話したいです。

 

では!!!

 

 

 

 

 

 

風の時代/多様性についてざっくり考えてみた pt2

こんにちは。

 

自分が書いた記事を読んだら続きが書きたくなったので続編を付け足します。

 

前回は、風の時代は今までよりも精神的なものに人々の価値観がシフトすることで今まで生きにくいラベリングを抱えていた人たちがこそこそしたり肩身狭い思いをしないで済むようになっていくんじゃね?という比較的前向きな視点から風の時代を捉えてみました。

 

今回は逆にこれからの時代なんか嫌な予感するなというか、おそらく起こるであろう私が個人的には嬉しくない社会の変化について書いてみようと思います。

前回同様明確なソースはなく、私が普段いろいろ見聞きしている中で見えてきた傾向の話ですので話半分に読んでください。

 

一つ目は隠し事ができなくなることです。

 

前回書いたように、今まで人々が自分の中に秘めていたもの、表現されていなかったことが表にでてくるようになっており、基本的にそれは肯定的に受け止められることが多いように思います。(芸能人のカミングアウト等)

 

ただ、これは加速すれば隠し事はなし、表と裏は完全一致、というか裏という概念が認められないみたいなことになりかねないのではと思っています。

 

街中のあらゆる場所に監視カメラが設置され、どこで何にお金を使っているのかは電子決済の履歴を辿れば丸見え、住んでる場所だってSNSやインターネット上の個人情報を集めればごくごく簡単に特定できてしまいます。

 

平面的に解釈すれば社会はクリーンになり、住み良い暮らしが実現されそうな気もしますが、いつも誰かに見られている、そこまで行かなくともトレースしようと思えばプライベートだと思っていたものも簡単に他者に知られてしまう可能性があるということはちょっと居心地が悪いと感じる人も少なくないのではと思います。

 

個人的には人間にはタブーのひとつやふたつはつきもので、生まれたから死ぬまでクリーン100%で生きるのはなかなかしんどいのではと思います。

 

最近では学校での体罰なんかもかなり厳しくなっているようですよね。私が中学生の時は教科書で頭叩かれたりもしました。別にそのやり方が良いとか言いたいわけではないですが、体罰に限らず人間の暴力性や怒りなど生きていく上で完全に消すことはできないものがどんどんオフィシャルに受け入れられなくなっていると思います。

ただ、受け入れられなくなっているからと言ってそれらが完全に消えることはないことを踏まえると何らかの形で存在する場が確保されるべきだと思うのですが、もはやこのような意見もかなり憚られるような風潮になってきていることを感じます。

 

怒りや暴力性から派生すると、男性性に対する眼差しの厳しさもかなり感じます。

この辺は人によってみている景色がかなり違うと思うので私がみている限りという点を再度強調する必要があるかと思います。

特にフェミニズムの潮流において、Toxic Masculinity(有害な男性性)と言った用語が用いられることからもわかるように、男性性は敵視の対象となり、その結果当然として議論の中心にはないと感じます。

 

ただ、先ほどのタブーの話と同様、男性性自体は心や体の性別に関係なく全ての人間が程度の違いはあれどもっており、必要なものだと私は思っています。

なので、有害な男性性を抑圧するのではなく男性性をもう一度見つめ直し、再定義する必要があると思うのですが、その辺は逆に肩身が狭くなりそうな気がしますね。

(もちろん私が勉強不足なだけで世の中にはこの辺を議論している人もたくさんいると思いますが、少なくとも現時点でのメインストリームではないと思いますし、日本に関して言えば私が生きているうちにメインストリームになる日がくるのか怪しいくらいかなと思っています。)

 

最後は少し毛色が変わりますが相互不干渉です。

 

いわゆる個性が重視される時代においては、あなたはあなた、わたしはわたし、お互い違うけど尊重し合おうね、という一見風通しがよく気持ちのいい考え方が浸透していくように思えます。

 

ただ、これはともすればどこまで行ったって他人は他人でわからないんだから考えたって仕方ない、とかなりドライで線引きのはっきりした考え方にも繋がりかねない気がします。

 

特にこの辺は日本社会においてどのような社会的通念が作られていくかかなり興味を持ってみています。

日本社会においてはこの集団と個人の在り方は非言語の中で絶妙なバランスでもって実現されていると思います。(この辺まだあんまり言語化できるほとわかってない)

私は私、私はこういう人間なんだよね、と言葉で相手に説明してわかってもらおうとする姿勢はかなーり西欧的に私には映ります。

(もちろんこういう自我のありかたはかなり日本でも一般的になっていると思いますが、それは日本社会においても西洋的な自我のあり方が浸透しているにすぎないと思っています。)(この辺は西洋哲学と東洋哲学の世界の捉え方の違いとかからもわかると思う、知らんけど)

 

江戸時代以降様々な西欧の概念や価値観、文化や慣習などをスライムのごとく吸収し既存の日本のものと融合させてきたことからも、おそらく絶妙なバランス感覚で成立する形になっていく気がしています。

日本社会(日本社会における集団や組織)は、非言語での察し合い・読み合いと責任の不明瞭さと非効率、構造の不在という傍目から見るとかなり崩壊した状況にも関わらず、めちゃくちゃ絶妙なバランスの中でなんだかんだで成立しているな、と本当に常々思います。

まじでなんなのこれは。結構いろんな場面で色々考えているんですが、何で成立してるのかはマジで謎。そしておそらく集団や組織の構成員も誰一人として成立している所以を説明できない。そもそもバランスを意識的に取っているつもりも多分ない。よくわかんないけどどうにかなってるっぽいが蔓延していて私はもはやいつも感心しています。

 

大脱線しました。日本社会がいかにアンビバレントで絶妙なバランスで成立しているのかについてはまた改めて書きたいです。誰か一緒に考えてほしい。もしくはこれについて考えている人がいたら情報源教えてほしい。自分で書いておいて思い出しましたが、丸山眞男の「現代政治の思想と行動」でそれっぽいニュアンスの話は出てた気がします。だいぶ前に読みかけたままなのでニュアンスずれてる可能性もありますが。

 

相変わらずかなり発散しましたが、ここまで読んでくれた方ありがとうございます。

面白がってくれたら幸いです。なんか派生して話したいこととかここどういう意味?とかあればコメントやインスタのDM、直接会って話すなどリアクションくれると楽しいです。